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城の暮らし

更新日:2020年6月5日更新

城の暮らし

1 城の出土品

 城は所領を守るばかりではなく、経営するための拠点としても用いられました。戦国大名、浅井<あざい>氏の滋賀県小谷城跡<おだにじょうあと>では発掘調査により1万点を越える遺物が出土し、注目を集めました。
 今回は、赤磐市にある戦国時代の山城、茶臼山城跡<ちゃうすやまじょうあと>(写真1)の出土品から、城での暮らしを見ていきましょう。

茶臼山城の様子
写真1 茶臼山城の様子
※天守に似た建物は城山公園の展望台です。

2 蓄える

 山城で暮らす上で最も大切なことは、水や食料を蓄えることです。これらは長期間に渡って山城にこもる、つまり籠城<ろうじょう>する上で、不可欠でした。茶臼山城跡では発掘調査により、深さ3mを超える大形竪穴<おおがたたてあな>が見つかっています(写真2)。この穴はその大きさや、たくさんの遺物が出土したことから、上部に屋根をかけ、食料などを蓄えた穴蔵<あなぐら>であったと考えられています。

見つかった大型竪穴遺構
写真2 大形竪穴

復元された大型竪穴遺構の覆屋
写真3 復元された大形竪穴の覆屋<おおいや>

 大形竪穴からは備前焼の甕<かめ>が出土しています(写真4)。これは高さ80cmもある大きなもので、その大きさから、水甕として使われたとみられます。茶臼山城跡では発掘調査の行われた山頂から、やや低い場所に井戸があります。戦いに備えて、井戸から汲んだ水を蓄えていたのではないでしょうか。ほかにもお酒を蓄えた可能性もあります。

備前焼の大甕
写真4 大形竪穴から見つかった備前焼の大甕

3 もてなす

 室町時代には茶の湯<ちゃのゆ>が盛んになり、戦国時代になると地方へも広まりました。茶臼山城跡でも瀬戸(愛知県)で焼かれた茶碗(写真5)や備前焼きの水こぼし(写真6)など、茶道具と思われるうつわが見つかっています。茶の湯は客をもてなす重要な手段であり、城が社交の場としての役割を果たしていたことをうかがわせます。

天目茶碗の破片
写真5 茶碗の破片

備前焼きの湯冷まし
写真6 備前焼の水こぼし
 

4 備える

 茶臼山城跡では鎧<よろい>の小札<こざね>や鉄の矢尻<やじり>、小刀、刀の金具<写真7>などが見つかっています。また、こうした武器・武具をはじめとする金属製品の製作・修理に用いたのか、鍛冶炉<かじろ>に空気を送る鞴<ふいご>の先に取り付けた羽口<はぐち>も出土しています(写真8)。その他、用途の分からない鉄製品や青銅製品の小破片も出土しており、それらは鍛冶の原材料であったのかもしれません。

青銅製の切羽
写真7 刀の金具

羽口の破片
写真8 羽口の破片

5 記す

 城においても様々な情報を記録し、伝達するための文書が作成されていたようです。茶臼山城跡から出土した石の硯<すずり>は幅5cmほどと小さく、携帯用とも考えられます。墨の跡が残ることから実際に使用されたようですが、文書の作成外にも、多様な用途が想定されます。

石製の硯
写真9 硯

6 城の役割

 城では戦いに備えて維持・管理が行われるとともに、所領に関わる情報の収集・記録など、様々な事務が執られていた可能性があります。また、他の勢力とよしみを結ぶ社交の場であったとも考えられ、城は軍事・政治の中心として多様な機能を担っていたようです。

目次

項目内容
城をまもる城の防御施設についての解説
城のかなめ城の内部施設(おもに曲輪についての解説)
城の出入り城の出入り施設・構造についての解説
平地のすまい領主の館についての解説