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城の要

更新日:2019年9月25日更新

城のかなめ

1 曲輪〈くるわ〉とは

 尾根や斜面に造成してつくった平坦地で、周囲に切岸〈きりぎし〉土塁〈どるい〉などを設けて防御を固めています。当時の文献では「曲輪」の表記が一般的ですが、江戸時代には「郭」も用いられます。

中世山城の模式図
中世山城の模式図(文化庁監修「発掘調査のてびき」各種遺跡調査編の図206を改変)

2 曲輪の種類

 曲輪は、つくられた場所やその役割によってさまざまな種類があります。曲輪の中でも中心となるものを特に本曲輪(主郭、後の本丸)と呼びます。ここには建物が設けられるなど、城のかなめとしての役割を果たしました。
 また、本曲輪を取り巻くように設けられた細長い帯曲輪〈おびくるわ〉や本曲輪から下った場所に設けられた腰曲輪〈こしくるわ〉は、本曲輪を護るとともに、曲輪を相互につなぐ通路としての役割も果たしました。このほか、本曲輪から離れた位置に設けられた出曲輪(後の出丸)は、見張りや本曲輪を護るための砦〈とりで〉として使われたようです(赤磐市茶臼山城)。

単郭式山城の写真
単郭式山城(真庭市藪逧山城跡)

曲輪の模式図
曲輪の模式図

3 曲輪の数と配置

 小規模な城砦には山の頂きを平らに造成して曲輪を設けただけのものが多く、これを単郭式山城〈たんかくしきやまじろ〉と呼んでいます(高梁市粧田山城跡、真庭市藪逧山城跡、新見市藤木城など)。これに対し、本曲輪の周りに複数の曲輪を配置した複郭式〈ふくかくしき〉の中には尾根筋に曲輪を連ねた連郭式山城〈れんかくしきやまじろ〉が多く見られます(新見市楪城跡、和気町天神山城跡など)。
 そして、安土桃山時代以後に築かれた平城や平山城の中には、輪郭式〈りんかくしき〉や梯郭式〈ていかくしき〉、渦郭式〈かかくしき〉といった複雑な配置をとるものも現れます。

4 曲輪の名称

曲輪は、数字や方角のほか土地や施設、人物、動植物などに因んださまざまな名前で呼ばれました。県内では、岡山市北区金川城の道林寺〈どうりんじ〉丸(土地)、玉野市常山城跡の栂尾〈つがのお〉丸(土地)、和気町天神山城跡の太鼓〈たいこ〉丸(施設)、真庭市高田城跡の小屋の旦(施設)、高梁市備中松山城跡の井楼ケ壇〈せいろうがだん〉(施設)・あせび丸(植物)、備前市三石城跡のうぐいす丸(動物)などの名称が伝わっています。

曲輪の名称(高梁市備中松山城跡)
曲輪の名称(高梁市備中松山城跡)

5 曲輪のつくり

土塁で囲まれた曲輪の写真
土塁で囲まれた曲輪(真庭市小坂向城山城跡)

初期の山城では造成の度合いは小さく、自然地形との区別が困難なものもあります(総社市福山城跡、鏡野町河内城跡など)。しかし、時代が下るにつれて大規模な造成が行われるようになり、その形も地形に合わせた単純なものから多方向から攻撃できるように外郭線を入り組ませた複雑なものが見られるようになります(総社市鬼ノ身城跡、新見市西山城跡など)。

 曲輪の周りには、しばしば土を盛り上げたり削り残したりして土塁が設けられました。また、安土桃山時代に入ると自然石を数段積み上げた野面積〈のづらづみ〉の石垣が築かれるようになります(備前市三石城跡、和気町天神山城跡、総社市経山城跡、津山市医王山城跡など)。また、虎口〈こぐち〉と呼ばれる出入口には枡形〈ますがた〉を設けて二重に防御を固めたものが現れました(和気町天神山城跡、岡山市北区金川城跡など)。

 これらは織豊政権と繋がった宇喜多氏に関するものと考えられています。

目次

項目 内容
城をまもる 城の防御施設についての解説
城の出入り 城の出入り施設・構造についての解説