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更新日:2019年9月25日更新

遺跡紹介コーナー

遺跡紹介コーナー 〈その他〉

寒風(さぶかぜ)古窯跡群 瀬戸内市牛窓町長浜

 瀬戸内市内では、古墳時代から平安時代にかけて須恵器〈すえき〉という焼き物が盛んに作られましたが、寒風古窯跡群は、主に飛鳥時代に須恵器作りを行った窯の跡です。
  ここで作られた須恵器は、近くの役所などに配られたほか、遠く奈良の都にも運ばれました。こうした須恵器を作る技術は、後の備前焼〈びぜんやき〉に受けつがれたようです。出土した須恵器は、となりにある寒風陶芸会館で見ることができます。

雪の積もった寒風古窯跡群
寒風古窯跡群の様子。案内看板の奧に窯跡群があります。(瀬戸内市教育委員会提供)

展示されている須恵器
寒風陶芸会館に展示されている須恵器。焼かれたときにゆがんだものもあります。(瀬戸内市教育委員会提供)

いってみよう

  • JR岡山駅から両備バス「小津」バス停下車、徒歩20分、 岡山ブルーライン「邑久Ic」から車で7分

万富東大寺瓦窯(まんとみとうだいじかわらがま)跡 岡山市瀬戸町万富

  大仏で有名な奈良の東大寺は、平安時代の終わり<約800年前>に、平家〈へいけ〉の軍隊によって多くの建物が焼かれてしまいました。万富東大寺瓦窯跡は、鎌倉時代になって、東大寺を建て直すために必要な屋根瓦を作った窯の跡です。
 窯跡は丘の上にあり、これまでに14か所の窯のほか、作業場の可能性がある竪穴や建物の跡なども見つかりました。出土した瓦の中には、「東大寺大仏殿」の文字を表わすものもあり、大仏殿に使う瓦を作ったことがよくわかります。

遺跡の現状
現在の遺跡のようす

瓦窯
発掘調査でみつかった窯の跡です。これは瓦を焼く部屋で、中には焼くのに失敗した瓦がたくさん残っています。

東大寺瓦
焼かれた瓦です。瓦のまん中に「東大寺大佛殿〈とうだいじだいぶつでん〉」の文字が見えます。

いってみよう

  • JR山陽線万富駅下車、北東へ徒歩約10分。山陽自動車道山陽Icから車で約15分。

伊部南大窯(いんべみなみおおがま)跡 備前市伊部

 備前焼〈びぜんやき〉は、平安時代の終わりごろ<約800年前>から現在まで作られている、岡山県を代表する焼き物です。伊部南大窯跡は、室町時代の終わりごろから江戸時代にかけて使われた窯の跡で、斜面に三つの窯跡が並んでいます。
 中でも一番大きな東側窯跡は長さが約54m、幅が約5mもあり、つぼ・かめ・すり鉢といった生活用品を主に焼いていました。窯のまわりには、焼くのに失敗した備前焼のかけらが山のように積み上げられていて、たくさんの製品が作られたことを実感できます。

遠くから見た窯跡
遠くから見た窯跡。焼くのに失敗した備前焼のかけらが山になっています。

東側窯跡
石碑の後ろにある細長いくぼみが、東側窯跡です。もともとは天井があり、トンネルになっていました。

いってみよう

  • JR赤穂線伊部駅下車、南へ徒歩約10分。山陽自動車道和気Icから車で約15分。

大成山(おおなるやま)たたら遺跡群 新見市神郷町油野

 「たたら」とは、砂鉄を炉〈ろ〉で溶かして鉄を作る、今でいう製鉄所のことです。新見市の山奥にある大成山たたら遺跡群では、ダム建設に先立って発掘調査をしたところ、中世から明治時代にわたる鉄作りの跡が7か所見つかりました。
 炉や建物は残っていませんが、湿気を防ぐために炉の下に作られた施設が見つかりました。また、原料の砂鉄を洗う場所や、できた鉄を熱してたたいた場所もあり、さまざまな作業が行われたことが分かりました。

高殿たたらの地下部分
湿気防止のため、炉の下に作られた施設です。炉はこの上に築かれていました。

高殿模型
鉄を作った建物の模型
(神郷生涯学習センター展示)

いってみよう

  • 現在、大成山たたら遺跡群を見ることはできませんが、三室川ダム管理事務所脇に大鍛冶場が復元されています。また、神郷生涯学習センターには高殿の模型が展示されています。
  • 三室川ダム管理事務所へはJR伯備線足立駅前車で三室川沿いに進み、約10分。

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