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更新日:2020年7月27日更新

遺跡紹介コーナー

遺跡紹介コーナー 〈城〉

鬼ノ城(きのじょう) 総社市奥坂

   総社のまちの北側にある高さ400mの山の上に、朝鮮半島の城にならってつくられた、飛鳥<あすか>時代(およそ1400年前)の城あとです。およそ3kmもある城のまわりは、石や土を積み上げた城壁<じょうへき>でかこまれ、4か所の出入口には城門<じょうもん>が建てられていました。城の中では、石で柱を支えた建物や、鉄の道具をつくった場所がみつかっています。飛鳥時代の城のようすがよくわかる貴重な遺跡です。

にしもん
もとの形につくられた城門

かくろう
城壁の上にある見張り台

すいもん
城壁にあいた水を流す穴

そせき
石で柱を支えた建物

いってみよう

JR吉備線服部駅から北へ5km。JR総社駅から車で約20分。岡山自動車道岡山・総社I.Cから約8km。

大廻小廻山(おおめぐりこめぐりやま)城跡 岡山市東区草ヶ部

  岡山のまちの北東にある高さ200mの山の上に、朝鮮半島の城にならってつくられた、飛鳥<あすか>時代(およそ1400年前)の城あとです。およそ3kmもある城壁<じょうへき>は鬼ノ城<きのじょう>より長く、山の上には石を並べて土を盛り、谷間は石を積み上げてつくられています。城の中のようすはわかっていません。

空から見た大廻小廻山城跡
空から見た城の大きさ

調査中の土壁
ならべた石の上に土を積んだ城壁(岡山市教育委員会提供)

一の木戸
石を積み上げた谷間の城壁
 

水門
谷間の城壁にあいた穴

いってみよう

  • JR山陽本線瀬戸駅から南西へ約4km、徒歩約50分

三石城(みついしじょう)跡 備前市三石

  兵庫県の近くにある高さ290mの山の上につくられた、南北朝<なんぼくちょう>時代から戦国<せんごく>時代(およそ700~500年前)の城あとです。兵士がこもる場所のまわりには急ながけや堀<ほり>をつくり、出入口を石垣<いしがき>でかこむなどして守りをかためています。兵庫県南西部から岡山県南東部をおさめる重要な場所でした。

三石城跡と三石の町並み(南西から)
三石城跡のある山

広い平坦地(南から)
兵士がこもる場所

高い石垣(南から)
出入口をかこむ石垣

尾根を断ち切る堀切(西から)
城をまもる深い堀

いってみよう

  • JR山陽本線三石駅の西500mにある登城口から徒歩約50分。

福山城(ふくやまじょう)跡 総社市山手岡谷・清音三因

 総社のまちの南側にある高さ300mの山の上につくられた城あとです。寺のあとを利用しているようで、380mにわたってつくられた兵士がこもる場所には、石を組んだ建物のあとや屋根瓦のかけらが見られます。南北朝<なんぼくちょう>時代(およそ700年前)に、後醍醐天皇方<ごだいごてんのうがた>と足利尊氏方<あしかがたかうじがた>との間で戦いがおこなわれました。

最高所の郭
兵士がこもる場所

石組みの門跡
石を組んだ建物のあと

いってみよう

  • JR伯備線・井原鉄道清音駅から西へ徒歩約1時間10分(清音歴史広場に駐車場あり。歴史広場までは徒歩約30分、歴史広場から徒歩約40分)

備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)跡 岡山市北区高松

 足守川<あしもりがわ>近くの平地につくられた、戦国<せんごく>時代(およそ500年前)の城あとです。兵士がこもる場所は、まわりを湿地<しっち>でかこまれていて、敵を近づけないつくりになっています。このため、のちの豊臣秀吉<とよとみひでよし>は、土手をつくって城のまわりを川の水で満たす水ぜめをおこないました。現在もこの時につくられた土手の一部が残っています。

備中高松城跡は本丸、二の丸、三の丸と呼ばれる曲輪と、住まいである屋敷(やしき)地からなります。
空から見た城のつくり
(『備中高松城三の丸跡』 岡山市教育委員会 2000を参考に作図、背景写真は国土地理院発行の基盤地図情報から引用)

緑の蓮の葉の向こうに、備中高松城跡の向こうに本丸が見えます。
湿地をあらわした池

築堤は高さ4m程のたかまりです。
水ぜめに使われた土手

いってみよう

  • JR備中高松駅から北へおよそ2km
  • 城跡は公園として整備されており、公園内には「備中高松城の戦い」について紹介する、資料館があります。
  • 城跡から南西1kmの場所に、この時築かれた堤防が一部残っています。
  • 岡山自動車道岡山・総社I.Cから車15分。

備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)跡 高梁市内山下

 高梁のまちを見おろす高さ400mのけわしい山の上につくられた、南北朝<なんぼくちょう>時代から江戸<えど>時代(およそ700~400年前)の城あとです。山をけずってつくられた城あとはおよそ2kmにもわたり、江戸時代につくられた天守<てんしゅ>や櫓<やぐら>、土塀<どべい>、石垣<いしがき>などが残っています。また、ふもとには、城主<じょうしゅ>の住まいやここをおさめる役所として使われた場所があります。

天守
江戸時代に建てられた天守
(高梁市教育委員会提供)

二重櫓
天守の北側に建つ櫓
(高梁市教育委員会提供)

三の平櫓土塀
城あとに残る江戸時代の土塀
(高梁市教育委員会提供)

いってみよう

  • JR伯備線備中高梁駅から北へおよそ5km
  • 岡山自動車道賀陽I.Cから車25分・有漢I.Cから車で35分。

岡山城(おかやまじょう)跡 岡山市北区丸の内

 旭川<あさひがわ>の西側にある低い丘を利用してつくられた、戦国<せんごく>時代から江戸<えど>時代(およそ500~400年前)の城あとです。堀<ほり>や石垣<いしがき>でかこまれた城の中には天守<てんしゅ>や30もの櫓<やぐら>が建てられ、岡山県南東部をおさめる重要な場所でした。現在も江戸時代の櫓が2つ残っています。また、城のまわりに整えられた城下町<じょうかまち>は、現在の岡山のまちのもととなっています。 

東からのぞむ岡山城の天守閣
もとの形につくられた天守

調査中の岡山城二の丸
発掘された堀と石垣

月見櫓
江戸時代の櫓(月見櫓)

いってみよう

  • JR岡山駅東口から東へおよそ2km、徒歩約20分。路面電車<「城下」電停>、バス<「城下」「県庁前」バス停下車>で約10分。
  • 岡山城内では、岡山城の歴史や城下町の様子などを学ぶことができます。

津山城(つやまじょう)跡 津山市山下

  津山のまちの中心にある高さ140mの鶴山<つるやま>につくられた、江戸<えど>時代(およそ400年前)の城あとです。山全体を三段の石垣でかこみ、天守<てんしゅ>や70もの櫓<やぐら>を建てています。岡山県北東部をおさめる場所として13年もかけてつくられました。建物はこわされてしまいましたが、最近になって櫓の一つがもとの形につくられています。

上空からみた津山城跡
空から見た城のようす
(津山市教育委員会提供)

津山城の古写真
こわされる前の天守
(津山市教育委員会提供)

復元された備中櫓
もとの形につくられた櫓
(津山委教育委員会提供)

復元された備中櫓
発掘された城の出入口
(津山市教育委員会提供)

いってみよう

  • JR津山線津山駅から北へ徒歩10分。
  • 中国縦貫自動車道津山I.Cから車15分・院庄I.Cから車で15分。
  • 城のすぐ側にある津山郷土博物館では、津山城跡の復元模型が展示されています。

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