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えらい人が眠る墓(墳墓・古墳)

更新日:2023年3月2日更新

遺跡紹介コーナー

遺跡紹介コーナー 〈墓〉

楯築(たてつき)遺跡 倉敷市庄新町・日畑

 楯築遺跡は、弥生時代後期<約1,800年前>の大きなお墓です。遺体をうめた円い小山の南と北に、四角い出っ張りを付けた形をしています。残念ながら、片方の出っ張りはなくなっていますが、もとの大きさは80mぐらいあったようです。これは、弥生時代のお墓の中で日本一の大きさです。  
 楯築遺跡は、吉備(きび)<むかしの岡山の名前>全体を代表する豪族(ごうぞく)があらわれたことをしめしているのかもしれません。

楯築遺跡出土の特殊器台
楯築遺跡から出土したお祭り用の特殊器台(とくしゅきだい)。(岡山大学所蔵)

現在の楯築遺跡の様子
遺跡の上に立つ大きな石は吉備津彦命が温羅(うら)という鬼(おに)と戦ったときに、身をかくした盾(たて)との伝説があります。

出土した弧帯石
楯築遺跡から出土した文様の刻まれた石。弧帯石(こたいせき)と言います。ほぼ同じものが近くで祭られています。(岡山大学所蔵)

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  • 山陽自動車道倉敷ICから車で約25分。

浦間茶臼山(うらまちゃうすやま)古墳 岡山市東区浦間

浦間茶臼山古墳は、3世紀後半<約1,700年前>につくられた古墳で、上空から円形と四角形がつながった形をしていることから、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と呼ばれています。長さは約138m、高さは約14mあり、竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)と呼ばれる埋葬施設(まいそうしせつ)からは、鏡や鉄でつくられた刀、剣、鎌(かま)、斧(おの)などの武器や道具が出土しています。日本で最も古い前方後円墳と言われている、奈良県の箸墓(はしはか)古墳と形が似ています。こうしたことから、古墳時代の始めに吉備(きび)<むかしの岡山の名前>を治(おさ)めた王の墓と考えられます。

空から見た浦間茶臼山古墳
東上空からみた浦間茶臼山古墳(岡山大学文学部考古学研究室提供)

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  • JR岡山駅から宇野バス「浅川」下車、北へ徒歩約15分。
  • 山陽自動車道山陽ICから車で15分。

中山茶臼山(なかやまちゃうすやま)古墳 岡山市北区西花尻

 中山茶臼山古墳は、長さ105m、高さ11mの前方後円墳で、4世紀前半<約1,650年前>につくられたと考えられます。吉備津神社(きびつじんじゃ)の裏山である、吉備の中山(きびのなかやま)の上にあります。 吉備津神社がおまつりする吉備津彦命(きびつひこのみこと)お墓だと言われています。今は中に入れませんが、まわりから古墳のようすを見ることができます。

拝所からみた中山茶臼山古墳
拝所から見た古墳

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  • JR山陽本線庭瀬駅から、北へ徒歩約40分。
  • JR吉備線吉備津駅下車25分。
  • 岡山自動車道岡山総社ICから車で20分。
  • 山陽自動車道岡山ICから車で30分。

神宮寺山(じんぐうじやま)古墳 岡山市北区北方

 神宮寺山古墳は、4世紀後半から5世紀初めごろ<約1,600年前>につくられた前方後円墳で、長さ150m、高さ13mの大きさです。岡山市街地の北の平地につくられた、最初の大古墳です。
 古墳の上に建つ神社の下に竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)があります。そのとなりにある副葬品(ふくそうひん)をおさめるための小さな石室からは、鉄で作られた武器や農具などがたくさん見つかりました。

空から見た神宮寺山古墳
空から見た神宮寺山古墳。右側が後円部、左側が前方部です。現在は住宅や小学校に囲まれており、草木のしげった小さな山のようにも見えます(岡山市教育委員会提供)

神宮寺山古墳への石段
古墳の上には神社があります。

小石室のふた
神社の北側に石でふたをした小石室があります。

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  • JR法界院駅下車、東へ徒歩約10分
  • JR岡山駅から岡電バス「御野校前」下車、徒歩5分

三成(さんなり)古墳(三成4号墳) 津山市中北下

 三成古墳は、古墳時代中期前半(約1600年前)につくられた全長35mの前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)です。前方後円墳は円形と方形(四角形)を組み合わせた形ですが、前方後方墳は前後ともに方形を組み合わせた形をしています。

津山市さんなり古墳を空からみた写真です。四角形を二つつなげた形をしています。

さんなり古墳の箱式石棺です。人骨が2体出土しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真左:空からみた三成古墳 写真右:三成古墳の箱式石棺と人骨)
 後方部と前方部の中央にそれぞれ1基の箱式石棺(はこしきせっかん)があり、加えて後方部の墳丘中に1基、墳丘裾に2基の箱式石棺がつくられています。箱式石棺には葬られた人の骨がよく残っており、後方部の箱式石棺には30~40歳ほどの男性と20~30歳前後の女性、前方部の箱式石棺には40歳ほどの女性と11歳前後の子どもが葬られていました。人骨の検討によると、後方部と前方部の計4体は骨の特徴が共通しており血縁者だった可能性があるといわれています。

 古墳からは鏡、勾玉、鉄剣、鉄斧(てっぷ)などが出土しており、これらの出土品は久米歴史民俗資料館(津山市中北下1271番地)で展示されています。また美作地域の歴史を知る上で重要であることから、1979(昭和54)年に国の史跡に指定されています。

参考文献 
「久米三成4号墳」『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告』30 岡山県教育委員会 1979

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  • 中国自動車道院庄ICから車で15分。

造山(つくりやま)古墳 岡山市北区新庄下

   造山古墳は5世紀の前半<約1,600年前>につくられた前方後円墳です。この時代には各地の豪族(ごうぞく)が競って大きな古墳をつくりました。造山古墳はおよそ350mの長さで、岡山県では最大、全国でも第4位の大きさです。このことから、大王(おおきみ)と同じくらい力をもった豪族が、岡山にもいたことがわかります。  
 造山古墳の上やその周りには埴輪(はにわ)が立てられていたようです。

造山古墳
空から見た造山古墳。左側が前方部で右側が後円部です。前方部上には今でも石棺(せっかん)が残っていて、見学することができます。まわりにある6基の古墳は造山古墳に関係するものとされています。

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  • JR吉備線備中高松駅より車で5分。
  • この古墳の近くには、次に紹介する作山古墳、こうもり塚古墳をはじめとする「吉備路風土記の丘県立自然公園(きびじふどきのおかけんりつしぜんこうえん)」があります。

作山古墳(つくりやまこふん) 総社市三須

 作山古墳は5世紀の中ごろ<約1,550年前>につくられた前方後円墳で、その大きさは282mもあります。岡山県では造山古墳に次ぐ第2位、全国でも第10位の大きさです。造山古墳より少し新しい形をしていて、造山古墳にほうむられた豪族に続いて、吉備(岡山の昔の名前)を治めた豪族の墓でしょう。  
 くわしい調査は行われていませんが、円筒埴輪(えんとうはにわ)がならんでいたことがわかっています。

作山古墳
空から見た作山古墳。この古墳は残りがよく、段築(だんちく)や造り出し(つくりだし)など古墳の形がよくわかります。

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  • JR総社駅から総社バスで「サンロード吉備路バス停」下車、徒歩10分。

両宮山(りょうぐうざん)古墳 赤磐市穂崎

 両宮山古墳は5世紀後半<約1,550年前>につくられた大きな「前方後円墳」です。長さはおよそ206mもあり、岡山県内では造山古墳や作山古墳についで、第3位の大きさです。
 この古墳のまわりには、今でも水のたまった濠(ほり)が一部残っていますが、発掘調査でこの濠の外にもう一つ濠があることがわかりました。この古墳は二重の濠に囲まれていたようです。
 近畿地方の大王のお墓とされる古墳にも濠が見られます。この両宮山古墳をつくった豪族は、大王と近い関係にあったのかもしれません。

空から見た両宮山古墳
空から見た両宮山古墳。古墳の周りにあるのが濠です。(赤磐市教育委員会提供)

発掘調査で見つかった濠
発掘調査で新たに見つかった濠の様子。黒い土で埋まっています。(赤磐市教育委員会提供)

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  • JR岡山駅東口から宇野バス「岩田」バス停下車、北へ徒歩約5分。山陽自動車道山陽Icから車で約15分。

長福寺裏山(ちょうふくじうらやま)古墳群 笠岡市走出・山口

 長福寺裏山古墳群は、笠岡市の北にある古墳のまとまりです。5世紀後半から6世紀はじめごろ<約1,500年前>につくられました。今は「かさおか古代の丘スポーツ公園」になっていて、自由に見学できます。  
 なかでも長さ60mの双つ塚(ふたつづか)古墳は、岡山県の南西部では有数の大きさの前方後円墳です。他にも東塚古墳は長さ50mの前方後円墳で、石室から斧(おの)や刀などが出土しています。これらは笠岡市立郷土館に展示されています。

双つ塚古墳の全景
双つ塚古墳の全景-全長約60mの前方後円墳です。

仙人塚古墳の全景
仙人塚古墳
全長約43mの円墳です。

仙人塚古墳の石室
仙人塚古墳の石室

東塚古墳の全景
東塚古墳
全長約50mの前方後円墳です。

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  • JR笠岡駅から井笠バス矢掛方面行き「楠バス停」下車、北へ徒歩約15分。
  • 山陽自動車道笠岡Icから車で約10分。古代の丘スポーツ公園に駐車場あり。

四ツ塚(よつづか)古墳群 真庭市上長田・同四ツ塚

   蒜山高原(ひるぜんこうげん)の東寄りに位置する、19基からなる古墳群で、16基が現存します。中でも4基が特別大きかったことから、“四ツ塚”と呼ばれるようになりました。このうち1号墳と13号墳の2基について、発掘調査が行われています。調査の結果、2基とも6世紀の中頃〈約1,450年前〉につくられたことがわかりました。
   1号墳は直径27mの円い古墳で、横から出入りできる横穴式石室がつくられています。石室からは土器や武器などの鉄製品、アクセサリーが出土しています。 四ツ塚13号墳は、直径19mの円い古墳です。古墳の頂上で、木棺(もっかん)を埋葬(まいそう)した痕跡(こんせき)が2か所見つかりました。ここで土器や青銅製の鏡、武器などの鉄製品が見つかっています。また、古墳の周囲には埴輪が並べられていました。埴輪には馬や鶏、家などがあります。

四つ塚古墳群全景
四ツ塚古墳群の風景(真庭市教育委員会提供)

1号墳横穴式石室の入り口
四ツ塚1号墳横穴式石室の入り口
(真庭市教育委員会提供)

1号墳の横穴式石室
四ツ塚1号墳の横穴式石室
(真庭市教育委員会提供)

馬形埴輪
四ツ塚13号墳出土の馬形埴輪
(真庭市教育委員会提供)

出土した鏡
四ツ塚13号墳出土の鏡
(真庭市教育委員会提供)

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  • 米子自動車道蒜山I.Cから車で約20分。
  • 現在、四ツ塚古墳群は「四ツ塚史跡公園」として整備されています。古墳の間には遊歩道が整備され、自由に散策できます。古墳の近くには「蒜山郷土博物館」があり、13号墳から出土した遺物などが展示されています。

こうもり塚(こうもりづか)古墳 総社市上林

 こうもり塚古墳は、「吉備路風土記の丘県立自然公園」内にある全長100mの前方後円墳で、6世紀<古墳時代後期、約1500年前>では吉備地方最大の古墳です。この古墳には、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)と呼ばれる石組みの部屋があり、南側の入口部分から内部の様子が観察できます。横穴式石室は、通路部分と奥の遺体(いたい)を埋葬(まいそう)する部屋からなり、全体の長さは19.4mです。その大きさは吉備地方の横穴式石室では最も大きく、使われた一番大きな石は重さ10数トンにもなると思われます。石室の中には今も石棺(せっかん)が置かれています。ほかに陶棺や、鉄の釘が出土して いることから木棺(もっかん)も納められたようです。 石室の中からは、大刀(たち)、馬具(ばぐ)、鉄(てつぞく)、ガラス玉、須恵器(すえき)等の品々が見つかっています。そのうちの大刀は装飾付大刀(そうしょくつきたち)とよばれ、身分の高い人<武人か?>が持っていたようです。

こうもり塚古墳全景
北から見た古墳の全景。写真中央の小高い部分が古墳です。横穴式石室は向かって右側にあります。

石室と石棺
石室と石棺。石棺は浪形石(なみがたいし)という石でつくられています。井原市の周辺で今でも見つけることができます。

刀の飾り
大刀の装飾部分。柄頭(つかがしら)にあたります。鳳凰(ほうおう)をかたどったものです。

いってみよう

  • JR総社駅から総社バスで「国分寺(こくぶんじ)バス停」下車、徒歩5分。あるいは県営国分寺北駐車場から徒歩5分。
  • 付近には、国分寺跡や国分尼寺跡、吉備において最後につくられた前方後円墳と考えられる江崎(えざき)古墳などたくさんの遺跡があります。

箭田大塚(やたおおつか)古墳 倉敷市真備町箭田

 箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)は、直径約46mの円墳です。墳丘(ふんきゅう)には円筒や人形をした埴輪が飾(かざ)られています。

 この古墳には全長19.1mの横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があります。これは岡山県内で総社市こうもり塚古墳についで大きい石室で、長さが3m以上ある大きな石が使われています。石室の中からは金銅装(こんどうそう)の装飾付大刀(そうしょくつきたち)や馬に乗るための馬具(ばぐ)、鉄(てつぞく)などの武器・武具のほか、耳飾りである耳環(じかん)、メノウや水晶(すいしょう)、ガラスで作られた玉類(たまるい)といったアクセサリー、須恵器などの土器が出土しています。これらの品々から、身分の高い人が古墳にほうむられたことが分かります。

箭田大塚古墳の入口
石室の入口からみた古墳。石室は南側に入口があります。

箭田大塚古墳の石室
石室の玄室(げんしつ、棺を納める部屋)。
石を組み合わせた石棺が残されています。

箭田大塚古墳の横穴式石室の廊下
石室の羨道(せんどう、玄室へと続く通路)。大きな石が使われています。

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  • 井原鉄道「吉備真備」駅から徒歩20分
  • 山陽自動車道玉島ICより車で20分

牟佐大塚(むさおおつか)古墳  岡山市北区牟佐

 牟佐大塚古墳は直径およそ30mの円墳で、6世紀終わりから7世紀初めごろ(約1,400年前)につくられたと考えられます。この古墳には、大きな横穴式石室(よこあなしきせきしつ)という石組みの部屋があり、通路と合わせた長さは18mにもなります。これは総社市のこうもり塚古墳、倉敷市の箭田大塚古墳に続く、県内第3位の大きさで、部屋のつきあたりの奥壁には高さ2.5mをこえる一枚岩が使われています。

 石室には大きな岩をくりぬいてつくった石棺(せっかん)が置かれており、この中になくなった人をおさめていたようです。その時には、おそらくたくさんの武器や道具、土器などがそなえられていたと考えられますが、残念ながら盗み出されてしまったようで何も残っていませんでした。しかし、こうした大きな石室や石棺をつくらせることのできる有力な豪族がほうむられていたことが想像できます。

外から見た牟佐大塚古墳です。
東から見た古墳の全景。写真左側に横穴式石室の入口があります。

牟佐大塚古墳の横穴式石室です。
横穴式石室の様子。ふたの部分が屋根の形をした、家形(いえがた)石棺が置かれています。

いってみよう

  • 山陽ICから車で約15分
  • JR岡山駅から宇野バス「牟佐下」下車、北へ徒歩約5分

大谷・定(おおや・さだ)古墳群 真庭市中津井

 大谷・定古墳群は、飛鳥(あすか)時代<7世紀>に相次いでつくられた6つの古墳です。飛鳥時代は、古墳がつくられた時代でも終わりに近く、古墳の大きさも小さくなり、数も減っていきます。そのような中で、古墳のまわりに石をきれいにならべた四角い方墳(ほうふん)がつくられるようになります。
 大谷・定古墳群では、このようなひときわ目をひく方墳が6基も集中してつくられています。 どの古墳にも横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があります。中でも定北(さだきた)古墳と大谷1号墳の石室は、石を丁寧(ていねい)に加工し、きれいに積み上げています。「切石積み(きりいしづみ)」と呼ばれる石室ですが、県内でも3つしかない珍しいものです。
 また、豪華(ごうか)な副葬(ふくそう)品も見つかっていて、大谷1号墳からは全体を金でかざった装飾付大刀(そうしょくつきたち)が出土しています。

復元された大谷1号墳
復元された大谷1号墳。階段状に石を並べた方墳で、一辺15mほどの小さなピラミッドのようです。(真庭市教育委員会提供)

大谷1号墳の石室
大谷1号墳の石室内。表面をきれいに平らに加工した切石積み石室です。床にも平らな石を敷いています。

現在の定古墳の様子
定東塚・西塚(さだひがしづか・にしづか)古墳。竹やぶの中に、2つの石室の入り口が見えます。

いってみよう

  • JR備中高梁駅からバス約30分、「中津井」下車、徒歩10分。中国自動車道北房I.Cから車で約10分。

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