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ここが“こだわり” \(^o^)/、史跡津島遺跡のやよい広場

更新日:2025年3月17日更新

文/岡山県古代吉備文化財センター  金田善敬

はじめに

 2009年3月27日、弥生時代の集落をイメージした史跡津島遺跡「津島やよい広場」(岡山県総合グラウンド内)の開園記念式典が挙行されました。まだ春になりきっていない肌寒い風が吹きすさぶ、曇り空のもとでの開催でした。
 オープニングセレモニーは、まず、地元児童によるブラスバンドの演奏で幕を開けました。その後、教育長、来賓の挨拶と続き、テープカット。オープンを待ちわびた大勢の方々が一斉に園内を散策しました。​ 

ブラスバンド演奏によるオープニング
写真1 ブラスバンド演奏によるオープニング

教育長挨拶
写真2 教育長挨拶

教育長・来賓によるテープカット
写真3 教育長・来賓によるテープカット

式典後の見学会
写真4 式典後の見学会

 私は、幸運にもこの津島遺跡の整備を最後まで担当することができました。当時、県財政は危機的状況に瀕していて、整備事業は、思えば苦難の連続でした。しかし、整備にたずさわった大勢の方がいろんな知恵を出しあってくれたおかげで、とても立派な公園に生まれ変わりました。そこには、担当者ならではのこだわりと見どころが詰まっています。ここでは、そのなかで、普段、なかなか気づくことのない「こだわり」を三つほど紹介したいと思います。

紹介するこだわりポイント
図1 紹介するこだわりポイント

こだわり1 中を見学できる竪穴住居

 津島やよい広場のシンボルの一つ、「竪穴住居」。この住居の魅力は何と言っても中に入って見学できることです。竪穴住居は外からみるだけではなく、中に入らないとわからないことが多々あります。見かけに比べ広く感じる室内空間、夏は涼しく、冬は暖かい茅葺きならではの体感などなど。

 「でも、これって当たり前なんじゃないの?」。実はそうとも言えないのです。津島遺跡のある市街地には様々な規制があって、中を見学できる茅葺き建物を復元するにあたっては、法令上の様々な課題を解決しないといけませんでした。もちろん、内部の公開をあきらめるという選択肢もありましたが、それでは面白くありません。そこで、計画段階から、どうしたら内部を公開できるのか、建築担当部局と幾度と交渉を重ねました。

 最大の難問は屋根の構造でした。当たり前ですが、茅葺きの屋根は火に弱いのです。これでは危なくて中に人を入れるわけにはいきません。そこで、茅葺きの屋根の下地に不燃の防火板を挟み、火災にあった場合でも屋根が燃え落ちない構造にしました(外見上は見えません)。当時、これは全国的にも珍しい復元事例となりました。

竪穴住居
写真5 竪穴住居

屋根に防火材を設置しているところ
写真6 屋根に防火板を設置しているところ

こだわり2 “規格外”のシンボルモニュメント

 津島やよい広場の玄関にあたる南東隅には、陸上競技場を発掘した時に出土した建築部材をもとに復元した建物(シンボルモニュメント)があります。建物の各部材は、実際に出土した部材を参考に、大きさや質感を大切にしながら作られました。建物の主要な部材には、出土した部材と同じ樹種を使用するなどこだわっています。その中で、壁材は、曲がりくねった雑木の小枝を利用。これらは、流通にのらない“規格外”の部材で、業者さんがわざわざ山から伐りだしてくれました。復元に使用する部材の検査で、雪が残る四国の山奥まで赴いたことを記憶しています。

シンボルモニュメント
写真7 シンボルモニュメント

”規格外”の壁在
写真8 “規格外”の壁材

 

こだわり3 湿地の不思議​

津島やよい広場の真ん中には、かつて北から南にむかって川が流れていました。それを復元したのが「湿地」で、周囲より低くなった場所に、水を流したり、湿性植物を植えたりしています。ここでは時々、小鳥や子どもが水遊びする風景が見られ、心がなごみます。ところで、この湿地の北側には、無駄のようにみえる何もない空間(窪地)が広がっているのですが、何なのでしょう?

 ヒントは、近年、多くなってきた集中豪雨にあります。公園整備にあたっては、豪雨の際の排水対策が課題でした。そのため、公園の雨水をまず湿地に集め、昔の流れにしたがい、北から南に排水する計画をたてました。ところが、ここで一つ大きな問題にぶつかりました。なんと、南側の既設排水管では十分に排水できないことが判明したのです。豪雨の際、水が園内にあふれだす可能性があるのです。そのため、水を北側の排水管に流すため、北側に流れる水路を設ける必要がでてきました。しかし、これは自然の流れに逆行することになり、来園者に誤解を与える可能性があります。豪雨の際、どうにかして北側に水を流す方法がないか、関係者で話し合いました。

その結果、常時は水を流さず、湿地が一定の水位を超えたときにはじめて水が北に流れるような窪地をつくることにしました。いわゆる遊水地(注)の概念です。洪水は今も昔も大きな災いです。弥生時代にも、洪水の際、このような“遊水地”があって、洪水被害を軽減してくれていたかもしれません(考古学的には証明されていませんが・・)。

注:洪水時の河川の流水を一時的に貯留させる土地のこと。

湿地における水の流れ
写真9 湿地における水の流れ

おわりに

 津島やよい広場には、みなさんの記念写真用に、撮影ポイントが意識して作られています。その場所に立つと、視界が開けるだけでなく、撮影の邪魔になる工作物や樹木が入らないようにできるだけ配慮しています。みなさんが、何気なく撮影した場所、それはもしかして、私が意図した撮影ポイントだったりするとうれしいです。

 公園は、完成後、15年余りたちました。最初は閑散としていましたが、緑が定着し、自然豊かな公園になってきました。こののちも変わらぬ風景が続いてくれることを願っています。

開園当時(2009年)の風景
写真10 開園当時(2009年)の風景

令和6年(2024)の風景
写真11 令和6年(2024)の風景