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彩り鮮やかな玉から時代の色を読む

更新日:2019年10月15日更新

文/岡山県古代吉備文化財センター 米田 克彦

 

 現代の私たちは様々な色に囲まれて生活しています。周りには青い空や海、緑の山々や草木、赤い夕焼けなどの自然が広がり、街中にはカラフルな建物・車・衣服・道具などがあふれています。
 発掘された考古資料のなかにも様々な形・材質、多彩な色のモノがあり、その多くは土に埋まった後の影響で形や色が変わり、材質によっては腐って失われるものもありますが、今回お話しする「玉」は現代まで当時のままの形・材質・色を保っており、考古資料の中でも貴重な資料です。そこで、縄文時代から古代にかけて、玉の形・材質とともに色にも注目して、各時代の色について考えてみたいと思います。

 県内では玉文化が縄文時代前期に始まりますが、いずれも骨や灰色の石を使用しており、色はあまり意識していないようです。
 中-後期になると、岡山市津寺遺跡から出土した新潟県糸魚川産ヒスイ製の大珠(たいしゅ)に見られるように、緑色を意識した玉文化が幕を開けます。糸魚川産の良質なヒスイ製の玉は、透明感のある緑色に加え、当時としては絶対的な硬さとそれを加工する技術、また産地がごく一部に限られるという希少性に価値がありました。

 その後、ヒスイ製大珠が衰え、晩期にはヒスイや他の石(結晶片岩様緑色岩など)製の勾玉や管玉・丸玉が流行しますが、いずれも緑色を基調とします。このように縄文時代に嗜好された「緑」は自然の象徴であり、生命力・安心・恒常を連想させ、安らぎ・癒しの色であることは現代に生きる私たちにも共通した感覚と言えるでしょう。

日本色研配色体系(PCCS色相環)をもとに作成
日本色研配色体系(PCCS色相環)をもとに作成

縄文時代のヒスイ製大珠(岡山市津寺遺跡)
縄文時代のヒスイ製大珠(岡山市津寺遺跡)

 弥生時代になると、勾玉はヒスイ、管玉は碧玉・緑色凝灰岩を原則とし、いずれも緑色を呈します。緑色の玉を好む感覚は縄文時代からの伝統であり、当時の中国や朝鮮半島でも共通していたようです。
 中期には新たに青色のガラス製小玉が登場し、後期にはガラス製勾玉や管玉も出土します。また西日本の一部では、中-後期に白透明の水晶製玉類が生産・消費されますが、弥生時代には一般化することなく、古墳時代になってから本格化します。
 弥生時代が終わる頃、各地域では首長を埋葬・継承するために墳丘墓を築造しますが、そこに副葬された玉はヒスイ製勾玉碧玉、緑色凝灰岩製管玉、ガラス製小玉が基本のセットになり、緑色と青色で構成されています。

 「青」は空・海・水に代表され、緑と並んでとても身近な色です。しかし、青色の物質に目を向けると、西洋で好まれるラピスラズリやトルコ石などの一部の貴石を除くと、自然界にはほとんど無く、考古資料のなかでも青色のモノはガラス製品以外になかなか見当たりません。ですから、青色のガラスは物質的に希少性が高く、色も非現実的で、神秘的と言えます。

弥生時代の玉
岡山市百間川原尾島遺跡 出土ヒスイ製勾玉
岡山市百間川原尾島遺跡 出土ヒスイ製勾玉
岡山市津寺遺跡出土 緑色凝灰岩製管玉
岡山市津寺遺跡出土 緑色凝灰岩製管玉
総社市窪木遺跡出土 ガラス製小玉
総社市窪木遺跡出土 ガラス製小玉

 古墳時代になると社会の仕組みが大きく変化し、それに伴って前期後半に玉の材質と色にも変化が起きます。碧玉・瑪瑙・水晶製勾玉の登場です。
 これらは島根県花仙山(かせんざん)で産出される緑色の碧玉、赤い瑪瑙、白・透明の水晶を素材として、出雲(島根県東部)系の玉作集団によって創造された玉であり、「勾玉=ヒスイ」「(石製の)玉=緑」いう弥生時代までの伝統・既成概念を打ち破った玉の意識改革が起こります。

 なかでも注目したいのが瑪瑙製勾玉であり、赤い玉は画期的と言えます。「赤」は血や太陽の色で、復活・再生を意味し、縄文時代以降の漆製品や赤色顔料(朱・ベンガラ)にも多用されていました。
緑と赤はお互いに補色(対比)の関係にあり、色彩学的に見ても正反対の色であるため、お互いの色が引き立ちます(日本色研配色体系を参照)。

 緑青を基調としていた連珠のなかに赤い玉が加わることは、癒し・沈静の装身具である玉が首長の霊魂を復活・再生させる意味も持っていたのでしょう。また中期の集落や祭祀遺跡では、滑石という灰色の軟らかい石や橙色の粘土を利用して、様々な形の玉を模造します。
 いずれも鮮やかな色ではなく、決して優美とは言えませんが、身近で加工しやすい石や粘土で勾玉や小玉(臼玉)の形を模造している点は興味深い現象です。
 玉はそれまで一部の有力者の装身具・副葬品でしたが、優美な玉が持てない一般の人たちは、身近な材質で玉を模造することによってマツリを行っていたようです。

 後期は、ヒスイ・碧玉製勾玉が次第に少なくなる一方で、碧玉製管玉・瑪瑙製勾玉・水晶製玉類が多くなるほか、新たに琥珀・金・銀・埋もれ木製の玉も認められ、色は緑・赤・白・透明・青・灰・橙に金・銀や琥珀・黒色が加わり、形・材質・色のあらゆる面で多種多様になります。ガラス製品にも青のほか、中期後半には紺・黄緑・黄・赤色が出現します。

 これらのなかでも、後期には水晶製玉類が主体を占めます。水晶の「白・透明」は純粋・清潔・潔さを連想させ、聖なるものの一つであり、水晶製の玉が急増する6世紀後半から7世紀前半は日本で仏教が信仰され始めた頃です。
 その後、奈良・平安時代になると、玉は急激に衰退しますが、水晶は平玉や球に形を変え、鎮壇具や火葬墓の副葬品として仏教と深く結びついていきます。

古墳時代の輝きのない玉
岡山市津島遺跡出土土製勾玉
岡山市津島遺跡出土土製勾玉
鏡野町久田原遺跡出土石製勾玉
鏡野町久田原遺跡出土石製勾玉
岡山市原尾島遺跡出土滑石製臼玉
岡山市原尾島遺跡出土滑石製臼玉

古墳時代の輝く玉
総社市西山26号墳・中山6号墳出土玉類(中期)
総社市西山26号墳・中山6号墳出土玉類(中期)
津山市室尾石生谷口古墳出土玉類(後期)
津山市室尾石生谷口古墳出土玉類(後期)

 玉(タマ)は、縄文時代に出現し、弥生・古墳時代、古代まで各時代・時期で材質・形・色の流行を変えつつ、「魂(タマシイ)」を結ぶ精神の拠り所として社会的に重要な役割を果たしてきました。
 緑に魅了された縄文時代、緑・青を好んだ弥生時代、緑・赤・青・白・透明・灰橙・金・銀・琥珀・黒・紺・黄緑・黄など色彩に富んだ古墳時代、聖なる白・透明の水晶に仏教の信仰・普及を願った奈良・平安時代。

 このように色は時代を反映します。現代は、あらゆるもので満ちあふれ、高速かつ情報化社会となったのにも関わらず、心のどこかで豊かさや安らぎを求めているのではないでしょうか。
 果たして、現代はどんな色に映っているのでしょう。

 

※2004年4月掲載