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古代の産業廃棄物

更新日:2019年10月15日更新

文/岡山県古代吉備文化財センター 下澤 公明

 

 昨年の夏はエルニーニョ現象の影響から冷夏予報が出され、過ごしやすい日々を期待された方が多かったのではないでしょうか。
 しかし、この期待がみごとにはずれ酷暑に耐えなければならなかったことが思い起こされます。この暑さを避けるために海水浴に出掛けられた方もいらっしゃるでしょう。
 この海岸の砂の中に薄い石ころのようなかけらを拾われた経験があると思います。このかけらの一部には、石よりも軽く表面にミミズ腫れ状のものがある。この土器片は、岡山県南部の海岸及び香川県を含めた島しょ部に多く出土し、「製塩土器(師楽式土器)」と呼ばれる。

阿津走出遺跡の純土器層
阿津走出遺跡の純土器層

  製塩土器は、弥生時代中期後半から認められ、それ以降奈良時代におよんでも形は変化するが製塩土器は使用し続けられる。製塩土器は、三角形状の鉢形土器の底部に低い台が付いている。器面を整えるのは指によるナデとへラの粗い削りで行われる。他の壷や甕などがへラ磨きなどに見られるように丁寧に整えられるのに対してその粗さが際立つ。
 このような調整方法は、弥生時代後期後半まで見られ、この前後からヘラ削りに代わりタタキが用いられるようになる。これと伴うように台の部分がしだいに小さくなり古墳時代前期には失われる。
 この段階では、出現期が口径30cmであったものが口径6~8cm、器高10cm前後の小形になってしまう。しかし、六世紀中葉前後には先祖返りの如く、大形のものが出現する。

竪穴住居出土の製塩土器
竪穴住居出土の製塩土器

 このような形の変化をたどる製塩土器は、その名の示す通り塩を生産する「生産用具」である。この用具から塩を作りだす方法は、製塩土器による煮沸の前にあらかじめ海水の濃度を高める工程がある、これで得られた濃縮された海水を製塩土器で煮沸することにより塩を得る。同時に、煮沸するための燃料の消費もすくなくすみ生産性を上げることができた。

 副題に「古代の産業廃棄物」としたが、考古学においては製塩土器が産業廃棄物として認識されたことはなく、あくまでも今日的な問題としてのものです。
 先の、六世紀中葉前後の小形の製塩土器から容量を重視した大形への変化は、これまでの認識を大きく変えることになる。具体的には、製塩土器。多くの個体を直接火にかけて煮沸することから再使用が不可能になった多量の容器(純土器層)、そして、この煮沸に用いられた燃料(灰層)が廃棄物として新たに発生した。

古墳時代後期の製塩土器
古墳時代後期の製塩土器

 このことを瀬戸大橋の建設に伴い調査された阿津走出遺跡で見ることができる。この遺跡は、長さ160m、幅26mの砂州上に営まれる。この規模は、自然条件により形成されたのではなく土器製塩という生産活動の結果が大きく影響した。
 六世紀中葉前後の大形化への変化は、これまでの吉備域内の消費流通であったものが中央政権との関わりのなかで吉備の主要生産物とされた。このことを背景として、集約的生産体制での土器製塩を行う。
 その結果、走出遺跡の砂畑の東西側が六世紀中葉前後の製塩土器の土器捨て場となる。また、砂州上には表土面から80cmの間に製塩土器の堆積が認められず、灰だけの堆積が認められた。

 このようなことから、阿津走出遺跡の砂州は土器による塩の生産に伴う今日的な意味での生産廃乗物で大きく拡大した。しかし、この生産廃棄物は、これからも、考古学の研究対象としてその意義を持っている。

 

※グラフおかやま1998年3月号より転載