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アルバムの向こうの40年―そして次の40年へ―
文/岡山県古代吉備文化財センター 平野友梨
エピローグ。この重要な任を拝命した私は、吉備を掘ること3年。古代吉備40年の歴史を語るには、あまりにも浅すぎる経歴です。
40年の変化を語れ——と言われましても、20代の私は、40年前にはまだこの世に生を受けておらず、当時のことを知る由もありません。そこでまずは、センターに残る過去のアルバムをめくってみることにしました。
ページをめくると、そこには今とは少し違う発掘現場の風景が広がっていました。作業着の色合い、使っている機材、そして現場で働く人々の頭にはヘルメットさえありません。少し色あせたカラー写真からは時代の匂いのようなものが漂ってきます。
そして、ある1冊のアルバムを開いたとき、私が目にしたのは……フィルムのネガでした。
私にとってフィルムカメラは、どこか歴史の教科書に出てくるような存在です。しかしアルバムの中では、そのフィルムカメラが発掘現場の記録を担う主役として活躍していました。いま私たちが当たり前のように使っているデジタルカメラも、当時はまだありません。写真を1枚撮ることにも、今とは違う時間と手間がかかっていたのだろうと想像させられます。

写真1 昔の発掘現場(フィルム撮影)<岡山市天神原遺跡>

写真2 今の発掘現場(デジタル撮影)<倉敷市酒津遺跡>
現在ではデジタルカメラが主流となり、SfMによる三次元記録、ポールカメラ、さらにはドローンまでが発掘調査に導入されています。日常的に空から遺跡を撮影し、三次元データとして遺構を記録することも珍しくなくなりました。
デジタル化の波は、実測の方法にも及んでいます。かつて平板測量(写真1の〇)で行われていた遺構の実測は、トータルステーション(写真2の〇)という電子機器へと移り、現在では電子平板というタブレット端末一つで実測ができる機器まで登場しています。手で1枚1枚トレースしていた図面も、今ではデジタル上で描かれるようになりました。

写真3 手でのトレース作業

写真4 デジタルでのトレース作業
環境も昔とは大きく違います。焼き付く日差しが記憶に新しい近年の夏。鳴り響く熱中症アラートが思い起こされます。そんな照りつく日差しから私たちを守ってくれるアイテム「寒冷紗」は発掘現場で欠かせない存在です。これ、実は岡山発祥!?と言われています(津島ミュージアムだより 第三回「夏季の調査に欠かせない「寒冷紗(かんれいしゃ)」は岡山が発祥!!」)。しかし、近年この「寒冷紗」に加え、「空調服」を着用する人が増えました。「半袖」×「無帽」スタイルで太刀打ちできる夏ではなくなってしまいましたね。夏の現場はなくなるのか、はたまた「空調服」を超える冷グッズが開発されるのか、この後の未来は50周年で述べることとします。

写真5 昔の夏の発掘現場

写真6 現在の夏の発掘現場

図1 センター調査員の男女比変遷
調査の方法だけでなく、現場に立つ人の姿もまた、この40年のあいだに変わってきました。アルバムに写る発掘調査員の姿は圧倒的に男性が多く感じます。そこで、『岡山県埋蔵文化財報告』をもとに、40年前からの男女比率の推移を調べてみました。1991年に入った1人の女性からはじまり、ここ数年でその割合は大きく伸び、いまでは全体の半分に届きそうなほどになっています。また、長い間、採用が行われていなかった空白の時期を経て、ここ10年ほどで若手調査員がぐっと増えました。私自身も、その増えた「女性」「若手」調査員の一人です。
アルバムをめくるほどに時代を感じる写真がつづく中、ふと見覚えのある言葉の並びを見つけました。
「大地からの便り」です。
「大地からの便り」は、発掘調査の最新成果を広く一般の方々へ公開するためにセンターが主催している発掘調査報告会で、現在も毎年開催されています。遡ってみると、第1回は昭和63年開催で、すでに30年近くの歴史があることには衝撃を受けました。今でこそ各地で歴史に関する講演会や体験学習が数多く行われていますが、センターは早くからこうした普及啓発活動に取り組んできたことが分かります。
私自身も令和6年度に、この「大地からの便り」で発表する機会をいただきました。アルバムの中にその文字列を見たとき、変わることなく今に続いていることに、どこか不思議なつながりを感じました。

写真7 2005年の大地からの便り

写真8 2024年の大地からの便り
この40年間、発掘調査の手法や技術、そして体制は、時代の変化に合わせて姿を変えてきました。しかし一方で、変わらないもの、つむがれてきたものの存在にも気づかされました。
地下に眠る文化財と向き合い、その価値を未来へ伝えようとする思いです。発掘調査は、過去の人々の暮らしを知り、地域の歴史を未来へ残していく仕事でもあります。
アルバムの写真の中には、いま私たちを指導してくださっている上司の方々が、若い調査員として現場に立っている姿もありました。格好は少し違っていますが、遺跡に向き合う真剣な表情は、いま現場で見ている姿と変わらないように感じられました。同年代の調査員として写るその姿に、自分自身の姿を重ねてしまいます。
私自身もまた、発掘調査の現場で土と向き合う調査員の一人です。これまでの3年間、史跡備中国分尼寺跡の保存目的調査や酒津遺跡の記録保存調査など、吉備の地に眠る遺跡と向き合う現場に携わってきました。
私はまだ、この歴史のほんの入り口に立ったばかりです。しかしアルバムの写真を眺めながら、これまでセンターで積み重ねられてきた歴史を少しだけ感じることができました。
いま、20代の私。
退職するころ——きっと70歳定年の時代でしょうか——その時はもう一度、80周年のエピローグを書いてみたいものです。
きっとこの40周年は、50周年、そしてその先へと続く歩みの、まだプロローグに過ぎないのでしょう。


