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中津<なかつ>遺跡 倉敷市玉島黒崎
その3(令和7年11月27日更新)
6月から開始した中津遺跡の発掘調査は10月末に終了しました。梅雨の時期から猛暑を経ての調査でしたが、熱中症対策を行いながら無事に終えることができました。
今回の調査では、3棟の中世の掘立柱建物や縄文時代の土坑のほか、縄文時代の土坑墓が2基見つかりました。土坑墓は後世の開発により削られていましたが、2基ともに人骨が残っており、縄文時代を代表する埋葬方法である屈葬(手足を折り曲げた姿勢での埋葬)であることがわかりました。土坑墓の時期については、周辺の調査事例から縄文時代晩期(約3000年前)の可能性があります。
遺跡から出土した遺物には、縄文時代早期(約9000年前)に作られた押型文土器のほか、縄文時代後期から晩期にかけての土器や石器なども見つかりました。古代から中世にかけては鍋や椀といった土器が見つかっており、縄文時代から中世にかけての長い期間の中で断続的に人々がこの地域で生活を営んでいた様子がうかがえます。
10月15日・16日に地元の方を対象に現地説明会を行い、26名の方に御参加いただきました。参加された皆様には、発見された遺構や遺物のほか、土坑墓に埋葬された人骨を発掘している様子を間近に見学いただきました。
現地説明会資料はこちらから御覧いただけます(現地説明会資料ページにリンクします)。

写真1 中世の掘立柱建物(東から)
写真2 土坑墓1(南西から)
写真3 土坑墓2(西から)
写真4 現地説明会の様子
その2(令和7年9月24日更新)
6月に開始した中津遺跡での発掘調査も後半戦に突入しました。例年以上に気温の高い日が続きますが、作業場所全体を覆う寒冷紗(日よけ)や空調服で熱中症対策をしながら調査を行っています。
7月にお知らせした縄文時代から中世の土器片を多く出土している層を掘り下げていったところ、中世の柱穴が多数見つかり、少なくとも2棟の掘立柱建物が建っていたことが分かりました。さらに、縄文時代の土坑などの遺構も見つかりました。
現在、縄文時代の遺構の調査を進めるとともに、調査区を広げて遺構の有無を確認しています。今後の調査成果にもご期待ください。

<写真>中世の掘立柱建物の調査(点線部分が掘立柱建物)

<写真>縄文時代の土坑の調査
その1(令和7年7月25日更新)
昨年度に引き続き、今年も6月から水島港唐船線改築工事に伴い、倉敷市玉島黒崎にある中津遺跡の発掘調査が始まりました。調査地は、縄文時代の貝塚<かいづか>である中津貝塚の北側にあたります。これまでの周辺の調査では、土器や石器の他、屈葬<くっそう>された人骨も出土しており、この付近では縄文時代から人々が生活を営んでいたことが分かっています。
昨年度の調査区では、縄文時代の貝層や中世の掘立柱建物<ほったてばしらたてもの>の跡が見つかりました。今年度の調査区は、昨年度の調査区の西側に位置しており、現在掘削中の地表から70cm下の面では、縄文時代から中世の土器片が多く出土しています。今後の調査で何が見つかるのか、次回の報告をご期待ください。

<写真>調査風景(北西から)

<写真>土器検出状況(西から)


