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令和7年度調査員便り

更新日:2025年9月24日更新

第4号(令和7年9月24日更新)

謎の東方建物の全貌を公開!ー現地説明会・現地公開を開催しますー

 前回(第3号)の調査員便りで東方建物について報告したところですが、その後調査が進むにつれ、桁行<けたゆき>・梁行<はりゆき>ともに3間で、中央に心礎<しんそ>の抜取穴<ぬきとりあな>を認めたことから、東方建物については平安時代中期(10世紀)創建の「塔」であることが明らかになりました。建物規模は一辺6.3メートル、基壇規模は正方形の一辺14メートルを測ります。

 全国の国分尼寺跡では、既存寺院を転用したとされる紀伊国分尼寺(西国分<にしこくぶ>廃寺)や土佐国分尼寺(比江<ひえ>廃寺)に塔が存在するとされますが、新設の国分尼寺に塔を建てた例は確認されておらず、備中国分尼寺が初例となります。

 ただし、奈良時代(8世紀中ごろ)に備中国分尼寺が創建された際に塔は存在しません。約200年後の平安時代中期(10世紀)に新たに塔を建てた理由については、平安時代の思想的・歴史的背景を含めて今後検討する必要があります。

 以上のような調査成果を皆さんにお伝えする現地説明会・現地公開を開催することになりました(現地説明会のページへ)。調査が終了すると埋め戻すため、東方建物「塔」の全貌を見るのはこの機会しかありません。残暑厳しい折ではありますが、暑さ対策を万全にして、ぜひお越しください。  (調査員M)

東方建物の全景写真
<写真>東方建物(塔)全景(南から)

心礎の抜き取り穴の調査風景
<写真>心礎抜取穴の調査状況(南から)

 

第3号(令和7年8月22日更新)

謎の東方建物の全貌が明らかになってきました。

 調査が始まり2か月が経過し、東方建物の全貌が徐々に明らかになってきています。これまでの調査により、東方建物は平安時代中頃に、高さ1mほどの基壇<きだん>(建物の基礎)の上に建てられていることがわかりました。基壇上では、柱を支える礎石<そせき>や、礎石を抜き取った穴などが見つかっています。これらの位置関係から見て、東方建物は桁行3間×梁行2間の規模であったようです。また、建物の周囲では、東方建物の屋根に葺<ふ>かれていたとみられる瓦がたくさん見つかっています。

 今後は建物の構造などを詳細に調べる予定です。

 連日35℃を超える厳しい暑さが続きますが、万全の暑さ対策をしながら、毎日頑張って調査を続けています。今後の調査成果にご期待ください。  (調査員W)

今回の調査で見つかった東方建物の様子
<写真>見つかった東方建物(北東から)

柱の抜き取り穴を調査する様子
<写真>柱の抜き取り穴を調査する様子(南西から)

 

第2号(令和7年6月27日更新)

史跡備中国分尼寺跡の発掘調査が始まりました!

 令和7年6月2日(月曜日)から、3年目となる史跡備中国分尼寺跡の発掘調査が始まりました。

 今年度は今まで状況がわからなかった東方建物、北方建物の調査を中心に行います。北方建物は尼坊<にぼう>(尼僧が生活する宿舎)や食堂<じきどう>(尼僧の食事の場)、東方建物は鐘楼<しょうろう>(鐘が置かれていた場)や経蔵<きょうぞう>(経典を収めた場)の可能性が指摘されています。備中国分尼寺についての新たな解明に期待しつつ調査を進めていきたいと思います。

 発掘現場は、随時見学可能です。暑い季節とはなりますが、熱中症対策をしてお越しください。  (調査員T)

備中国分尼寺跡_今年度の調査場所の写真
​今年度の調査場所(東方建物)(西から)

備中国分尼寺跡_東方建物調査風景1
​東方建物調査風景1(南東から)

備中国分尼寺跡_東方建物調査風景2
​東方建物調査風景2(北西から)

 

第1号(令和7年5月2日更新)

令和7年度 史跡備中国分尼寺跡の調査が始まります!

 今年度で3年目となる「吉備路の歴史遺産」魅力発信事業「史跡備中国分尼寺跡ほか」の調査が始まりました。
 現在は、2か年にわたる発掘調査で出土した瓦などの遺物を整理しながら、6月から始まる予定の発掘調査に向け準備をしています。
 今年度は、調査員M、W、Tが担当です。よろしくお願いいたします。  (調査員M)

出土瓦の復元作業の様子
石膏で復元した部分に色をぬります

出土瓦の撮影作業の様子
写真室で撮影をします

史跡備中国分尼寺跡出土の軒平瓦
備中国分尼寺跡出土の軒平瓦

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復元瓦エピソード10のQRコード
『復元!古代瓦』