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備中国分寺跡

更新日:2020年9月30日更新

 天平13(741)年の聖武天皇の命令により備中国分尼寺とともに置かれた備中国分寺(備中国分僧寺)は、こうもり塚古墳の西約300mにありました。現在の寺(日照山国分寺)はもとの国分寺があった場所に、江戸時代中期の享保7(1722)年に再建されたものです。国の重要文化財である五重塔は国分寺が再建されてから約120年後の天保14年~弘化元年(1843~1844年)に建立されました。

 1971年の岡山県による発掘調査の結果、備中国分寺跡の寺域は東西約160m、南北約178mの規模であり、周囲を底面の幅約1mの築地によって区画されていました。建物は南門(なんもん)や中門(ちゅうもん)が発見されています。出土品は軒丸瓦や軒平瓦のほかに、鬼の顔を表した鬼瓦や、魚の形に似た一対の棟飾りである鴟尾(しび)などがあります。

 昭和43(1968)年、国の史跡に指定されました。

写真下半に備中国分寺の伽藍が広がっています。
空から見た備中国分寺跡

備中国分寺の南門付近の様子で、写真左に五重塔が見えます。
備中国分寺跡南門付近からの風景