ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

備中国分尼寺跡

更新日:2020年7月20日更新

 天平13(741)年に聖武天皇の命令によって、備中国分寺とともに建てられました。備中国分尼寺はこうもり塚古墳の東約250mにあります。

 屋根をかけた土塀である築地(ついじ)で囲まれた寺域は、およそ東西108m、南北216mの規模であり、南辺の中央に設けられた南門の前には幅6mの古道(古代山陽道か)が東西に走っています。

 寺域内は南門の北側の中門、仏像をまつる建物である金堂、お経の講義や説教を行う建物である講堂を南北に並べた様子が復元されており、このうち金堂跡には柱とそれを繋ぐ横木の台座をつくり出した礎石が良好に残っています。

大正11(1922)年、国の史跡に指定されました。

備中国分尼寺跡には礎石などが残っています。
備中国分尼寺跡の金堂跡

備中国分尼寺跡の境内に接して延びる古代山陽道。
南門跡に接する古代山陽道