ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップ 発掘情報 > ただいま発掘中! > 高尾上ノ畑<たかおうえのはた>遺跡 津山市高尾

本文

高尾上ノ畑<たかおうえのはた>遺跡 津山市高尾

更新日:2026年10月23日更新

その3(令和8年10月23日更新)

 夏の猛烈な暑さも落ち着きをみせ、次第に秋の訪れを感じさせる季節となりました。高尾上ノ畑遺跡では、調査開始から約6か月が経過しました。

 前回までは、主に奈良時代(8世紀頃)の遺構についてお伝えしましたが、現在調査を進めている南側の調査区では、中世の掘立柱建物が数棟見つかったほか、近世以降の古い道を確認しています。

 写真1は、中世の掘立柱建物跡です。円形の柱穴<はしらあな>の底には、写真2のように平らな石が置かれていました。これは、建物の柱を支え、地面からの湿気によって柱が腐るのを防ぐ礎石<そせき>と考えられます。

 暑さがだんだんと落ち着き、現場作業を行いやすい時期になりつつあります。11月以降は、これまでに多数の奈良時代の建物が見つかっている調査地北側を中心に調査を進めてまいります。

今後の調査成果につきましても、ぜひご期待ください。

高尾上ノ畑遺跡_掘立柱建物の検出状況
写真1 掘立柱建物の検出状況

高尾上ノ畑遺跡_柱穴内の礎石を検出した様子
写真2 柱穴内の礎石を検出した様子

その2(令和8年8月21日更新)

 調査開始から4か月が経ちました。
 梅雨が明け、現場では本格的な夏の暑さとともに賑やかな蝉の声が響き渡っています。

 前回の記事でお伝えした奈良時代(8世紀頃)の掘立柱建物がさらに複数見つかり、現時点で6棟を確認しています。これらの建物は、丘陵斜面に沿って軒を連ねるようにして建てられたと考えられます。
 写真1は、掘立柱建物の柱穴を探している様子です。土の違いを見極めながら慎重に表面を削っていき、写真2のように位置や形状が分かる状態にしていきます。検出後は、柱穴の掘り下げや写真撮影、記録を行っていきます。

 また、建物周辺からは須恵器や土師器などの土器類に加え、鉄製の斧や鍬先<くわさき>(写真3)などの農工具や魚を捕るための網のおもり(土錘<どすい>)も見つかっています。

 今後も厳しい暑さが続きますが、こまめな水分塩分補給や休憩など、熱中症には十分注意しながら引き続き作業を進めてまいります。
 今後の調査成果についても、ぜひご期待ください。

掘立柱建物を検出している様子
写真1 掘立柱建物を検出中の様子

検出した掘立柱建物の写真
​写真2 掘立柱建物を検出後の様子

出土した鉄製の鍬先の写真
写真3 鉄製の鍬先

その1(令和8年6月26日更新)

 一般国道53号(津山南道路)改築工事に伴い、4月から高尾上ノ畑遺跡の発掘調査を行っています。高尾上ノ畑遺跡は津山市域の南端に所在し、吉井川の支流である皿川<さらがわ>を臨む丘陵上に位置しています。

 調査開始から約2ヶ月が経過し、これまでに奈良時代(8世紀頃)を中心とする掘立柱建物<ほったてばしらたてもの>が複数見つかっています。これらの建物では、一辺約70~80センチメートルの方形や円形の柱穴<はしらあな>が並ぶ様子を確認しました。方形の柱穴は、奈良時代の公的機関に伴う建物などでよく見られることから、その性格も含め、興味深い事例です。

 また、調査区の中では、須恵器<すえき>・土師器<はじき>をはじめとした遺物が出土しています。最も数が多いのは奈良時代の土器ですが、弥生時代の石包丁<いしぼうちょう>なども見つかっています。

 高尾上ノ畑遺跡では、今年度1年間を通して発掘調査を行います。今後の成果にもぜひご期待ください。

高尾上ノ畑遺跡_掘立柱建物の検出状況の写真
​写真1 掘立柱建物の検出状況(写真に白線を加筆)

高尾上ノ畑遺跡_柱穴を半分掘り下げた様子
写真2 柱穴を半分掘り下げた様子

高尾上ノ畑遺跡_弥生時代の石包丁の写真
​​写真3 弥生時代の石包丁