ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 岡山県勝英(しょうえい)地域の就農情報

本文

県外から勝英地域へ!就農事例紹介

印刷ページ表示 ページ番号:0997754 2025年9月17日更新勝英農業普及指導センター

​就農事例紹介

安藤宜孝さん(ぶどう)

   安藤さんの写真
安藤宜孝さん(平成24年就農、当時38歳)     
       大阪出身、東京で体育教師13年!
勝央町ぶどう部会
R7経営面積:ぶどう100a(ハウス20a、簡易被覆80aうち育成園20a)

経営のきっかけと経緯
 「経営者になりたい」と思い立ち教師を退職
 受入農家のぶどうをみて「これにしよう!」とビビッときた
  • 東京で13年教師をしていたが「経営者になりたい」と思い立って7月に退職、その時点ではノープランだった。
  • 1ヶ月ほど点々と旅する中で、田舎なら農業もありかと思い、日本農業実践学園の短期農業体験コースを受講、その後、ふるさと回帰プログラム説明会(東京都)等に参加した。思い立ってから就農準備にかけた期間は約11か月だった。
  • 単身だったので、小面積で単収が上がる品目として、ぶどう、トマト、いちごを検討したが、トマトといちごは設備投資が高く、出荷時の繊細なイメージがあり、自分には向いていない気がした。
  • 幼少時、夏休みは1か月間、父方の祖父の家がある津山市を訪れていたため、そのときの記憶の影響もあり、ぶどうを選択した。長野県、岡山県を候補にし、岡山県単独就農定住フェア(大阪府)に参加して各自治体ブースで個別相談した。その後、案内された勝央町Kさんのぶどうをみて衝撃を受け、これにしよう!とビビッときた。
農地と農業経営
 狙った農地は直接交渉!
 3年契約から始め、実績を見せながら長期契約にこぎつけた!
  • 就農後、ぶどう簡易被覆栽培8aを借りられた(H24年から5年栽培して返却)。
  • その後、勝央町役場職員が、車で農地を紹介しながら連れて回ってくれた。当時は荒廃地も多く、その中に現在の作業場近くの空き地があり、集客施設の近くでもあり決断した。
  • 狙いをつけた農地は、役場へ出向いて地権者を教えてもらい、直接交渉した。これまでに8人と交渉、すんなり貸してくれる人ばかりではなく、最初は3年契約、次は5年契約と徐々に延長し、その間は草刈りといった管理や、ブルーベリーや野菜を作付けして実績を見せながら、ようやくぶどう棚建設の許可をもらい、20年と15年契約にこぎつけた。
  • ​就農2~3年目のとき、病気で営農できなくなった部会員の加温ハウスを2年借りた。初加温のときで、初めて加温栽培に取り組んだが、経費の割に儲からなかった。
住居について
 住居は見つからず、作業場にしばらく移住…
 今思えば単身だからできた!
  • 研修当初、住居が見つからず、隣接する津山市内の祖父母の家を一部住めるようにして…とはいえ隙間風もあり、環境としては良くはなかったが数ヶ月居住した。
  • 夏に作業場が完成し、住居兼作業場として登録し、住み始めた。
  • 空き家をいくつか紹介してもらったが、200~300万円のリフォームが必要だったり、家賃5万円/月と高く、すぐに住めるところはなかった。作業場に住むのは今思えば単身だからできたこと。
自己資金と初期投資
 就農後6年はお金がなくしんどかった!
 現金はなるべく使わず、借りられるものは借りる方がよい
  • 自己資金は1000万円(退職金と住んでたマンションの売却益)あったが、初期投資で軽トラ80万円、小屋400万円、ぶどう棚250万円/19a新植、動噴30万円で合計760万円使い、また2年間の生活費が240万円かかり、自己資金は使い果たした。ぶどう棚は施工を自分も手伝い、ほぼ材料費のみで250万円/19a(H23年当時)だった。
  • 就農後2年間はバイトもした。ホテルのウェイターを冬季4~5か月、月26日働いて給料は12万円だったので「こんなに働いたのに」と思った。翌年は工場で冬季4か月働いた。
  • 就農3年目以降はぶどうの作業もいろいろあってバイトには行けなくなり、ギリギリの状態で2~3年を過ごしていたが、近隣の農家さんとの出会いによりビニール張り替え作業の仕事に誘ってもらい、収入は安定した(収入は多くて100万円/年、少なくて20~30万円/年)。地元の農家の人と知り合えたのは良かった。
  • 就農8年目で融資を受け、ハウスを建てた。
  • 農業機械は、修理代、保管場所等、総合的に考えると借りた方がお金を使わなくて済むし、使ってみて自分のところに合った性能などもわかる。
  • 特に就農後2年間はサラリーマン感覚が抜けず、現金を使ってしまっていた。
技術習得
 ぶどうの技術を学ぶ環境は恵まれている
  • ぶどうの技術を学ぶ環境は恵まれている。講習会も多く、聞けば教えてくれる人が必ずいる。
  • 先輩就農者によく電話で聞いていたら心配して見に来てくれたこともある。
販路や雇用
 自由になるお金ができるのに4年以上かかった
  • 就農後1~3年はJA中心で出荷していたが、直売を始めると昼までにJAへ出荷することができなくなった。
  • 就農3~4年目で結婚、7年目から雇用を導入。妻が販売補助に入るようになり、収入は1.5倍になった(400万円→650万円)。
  • お金の流れができるのに4年以上かかった。14年目の今もしんどいがやっと流れができた。規模は当初の目標、想定どおりとなったが、人件費が今後の課題。
今後の目標
 最終的にはワインの周年販売 
  • 還暦までには、R6年に増反した露地ぶどうが軌道に乗り、最終的にはワインの周年販売をできるようにしたい。
  • 40歳間近での就農だったため、時間がない焦りが原動力となり行動も早かったと思う。自分のためには頑張れないので、何か別の目標を定めたい。

勝英地域事務所の外観
勝英地域事務所外観
普及指導センターは4階

県の制度に係る情報