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ソイル・アリさん、田邉さやかさんの紹介
就農事例紹介
ソイル・アリさん 田邉さやかさん(ぶどう)
ソイル・アリさん(平成17年就農、当時25歳)
田邉さやかさん(平成17年就農、当時28歳)
トルコと大阪出身、結婚を機に勝央町へ!
勝央町ぶどう部会
R7経営面積:ぶどう100a(加温ハウス27a、無加温ハウス20a、簡易被覆53a、うち育成園30a)
就農のきっかけと経緯
結婚をきっかけに日本へ
住むなら田舎、農業するなら経験のあるぶどうで探しているときに、出会った先輩就農者が幸せそうだった
- さやかさんとの結婚をきっかけに日本へ。都会での生活は想像できないし、住むなら田舎がいい、それなら農業をしようと考えた。
- 出身地のカッパドキアがぶどうの産地で栽培経験があったこともあり、ぶどうで就農でき、さやかさんの出身地である大阪に近いところを探していた。
- 岡山県はさやかさんの母が幼少期を過ごした地であったものの就農地候補として考えてはいなかった。しかし、九州まで足を延ばす通りすがりに寄った勝央町で、先輩就農者の様子をみて「こんな幸せそうな人が選んだところなら間違いない」と思い、勝央町での就農を決断した。
- 就農準備はさやかさんが中心となり、1年程度の期間をかけた。
農地と農業経営
ぶどうに適した農地はなかなか見つからなかったが、加温栽培を始めてから経営は安定した
- ぶどうに適した農地がなかなか見つからず牧草地を借り(最近は畜産の飼料高騰で牧草地を借りるほうが難しいかもしれないが)、後に購入した。
- 成園25aが入手でき、その成園を栽培しながら新植園37aを入手した。
- 加温ハウスを借りて6年間栽培した。当時は新規就農者が少なかったため、賃借料の相場がなく高かったが、その後は新規就農者が増加し安くなっていった。
- 部会長とのつながりで長く農地を借りることができた。
- 持ち主が栽培をやめるつもりだったハウスなどは、老朽化が進み、いい園地とは言い難いところもあったが、当時は燃料代も安かったので、加温栽培を始めてからは経営が安定した。
- 農地は見つかるだけでラッキー、就農後の3~4年は勉強だと思ってやってきた。
住居について
最初は町営住宅に3年居住した!
- 町営住宅は今と違い、入居しやすかったこともあり移住後3年居住したが、子供ができたのをきっかけに引っ越しをしたいと考え始めた。
- それ以前に、就農地を検討している段階で、地元受入農家から元消防機庫が売りに出されるから作業場としてどうかと紹介があり、義母のサポートで決断して入手した。家が見つからなければ最悪ここに住めばいいかと思っていたが、その後、売り主の方が自宅も手放す予定と聞き、交渉して入手することができた。
自己資金と初期投資
新規就農だと何でも必要!
最低限揃えてスタートして1~2年は借りればいい
- 自己資金はほぼなく、義母に援助してもらった。
- 当時、簡易被覆の導入費用は100万円/10a(自力施工なら70万円/10a)かかり、加温ハウス等含めて補助金も活用し自力施工もしながら、できるだけ出費を抑えた。若かったからもあるが、楽しいからできたと思う。
- 新規就農の場合、何でも必要で、まず最初に購入したのはスコップ、長靴、クワ。軽トラ、小型耕運機、梱包機、土づくりの道具は必須で、軽トラは中古で28万円で購入、動力噴霧機は約5年間借りていた。就農10年以上経過してからスピードスプレーヤーや乗用草刈機を購入した。
- 全部揃えたものの出来なかったらどうするの?まずは最低限揃えてスタートした方がいい。
技術習得
助け合いが多く、隠さないで教えてくれる
- トルコの実家で経験していたぶどう栽培とは全く違っていた。トルコでは収穫までぶどうの果実を管理することはなく、できたものを収穫する感じであった。
- 当時は1.5kg箱での出荷がメインだったので、技術を磨いていいぶどうを出荷する必要があった。
- 当時の部会長には「基本の作業をやってない」とよく叱られたが、その分、気にかけてよく見に来てくれた。
- 助け合いが多く、技術等は隠さずオープンで教えてくれるし、ぶどうを栽培している人同士の仲が良く、後から参入した人のメリットは大きいと思う。
- ぶどう部会内のGMC(Grape Masters Club:若手生産者を中心とした労働支援組織)の活動でビニール張りやハウスのメンテナンスなども勉強になった。
- 新しいことに挑戦し、叱られることもあったが、品評会で入賞することが増え、認めてもらえた。
今後の目標
手が届く範囲でいいものをつくる
- 規模拡大を図ってきたが、今後は縮小も考えながら、手が届く範囲でいいぶどうをつくっていきたい。

