「標点」は、県教育委員や教育庁職員等が、折々のトピックを交えながら、教育に対する思いを語るコーナーです。
平成26年5月号(通巻776号)

| 覆水盆に返らず 県教育庁文化財課長 山 田 寛 人 |
あれは中学生の頃だったろうか、校外学習で吉備路にあるこうもり塚古墳へ行き、現在は鉄格子で遮断されて石棺の側へは寄れないが、当時は可能で、薄暗い石棺の中を覗き込んだ。無論、遺骨はもとより副葬品等は何もなく、却って色々な空想が沸き、古代の神秘に胸躍らせたことを思い出す。多くの学者や研究者たちの努力によって色々な事実が解明されてきたが、千年前の時代を実際に見た人は現存する筈もない。幾多の発見や研究の積み重ねに基づく確度の高い推定に過ぎず、明日には新しい発見があって定説が覆るかもしれない。そして歴史を裏付ける確証こそが文化財であり、古来からの進歩や近代化の過程を探り、後世へ伝え、未来への進化へ繋げていく大切な物として、その保護と活用が文化財保護行政の使命である。 こうした大切な手掛かりが、現代人の都合により、便利、快適の名の下に様々な開発が進められ、幾つの文化財が失われただろうか。 現在こそ文化財保護法によって手厚く保護されているが、壊れたものは完全には元に戻らないし、歴史的確証や先人の誇りが損なわれていくような気がする。 この世には失うと元に戻らないものが幾つかあり、その最たるものが人の「命」であろう。安易に人を傷つけたり、軽率な行為で命が奪われたりした記事を見るたびに悲しい思いになる。関係者の生活や環境は一変し、取り返しのつかない事態に後悔しているに違いない。その他にも、「信頼」「名誉」「幸福」等々、価値観こそ違え人それぞれに大切なものがある。これらも一度壊れると修復困難な場合もあるし、回復には相当の時間と労力を要することだろう。 物質的に豊かになり、厳しい中にも平穏な日常の繰り返しの中で、今の生活が未来永劫続くものと勘違いしてはいまいか。不用意な言動や失念、極端にはちょっとした不運で大切なものを瞬時に失うことがある。「覆水盆に返らず」最近では余り耳にしなくなったが、私は「危機意識」の究極と思えてならない。 町中へ出ると、電車の優先座席付近でケータイ操作やメールしながらの運転、自転車で歩道暴走など、よく見かける光景だが危険なうえモラルにもとる行為だ。もし重大な事態になったとき彼らはどう言い訳するのだろうか。最もなくしてはならないもの、それは人としての「心」なのかも知れない。 |
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