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東京家庭学校

印刷ページ表示 ページ番号:0091027 2010年12月1日更新東京事務所

東京家庭学校(杉並区高井戸東)

 留岡幸助は、日本の社会福祉活動の先駆者で、石井十次、アリス・ベティ・アダムス、山室軍平とともに「岡山四聖人」と呼ばれている。この留岡幸助が1899(明治32)年に設立した感化院(現在の児童自立支援施設)、「巣鴨家庭学校」の後身が現在、杉並区高井戸東にある児童養護施設「東京家庭学校」である。
 留岡幸助は、1864(元治元)年、現在の高梁市で、理髪業を営む吉田満助の次男として生まれたが、生後まもなく親類の留岡金助・勝子の養子となった。1880(明治13)年、岡山基督教会の金森通倫牧師らにより高梁にキリスト教が伝えられると、3年後、高梁教会で受洗した。
 その後、同志社神学校に入学して新島襄に学び、卒業後、はじめ丹波教会の牧師となったが、金森牧師の勧めにより、1891(明治24)年、北海道空知集治監(そらちしゅうじかん)(現在の刑務所)の教誨師となった。過酷な強制労働を強要される囚人たちに接し、彼らの多くが、その生い立ちに問題があることを実感すると、1894(明治27)年、渡米し、監獄制度、感化事業を学んだ。日本ではまだ厳罰主義の時代、更生に重点が置かれるアメリカの感化監獄に大きな影響を受け、帰国後、国内に感化院を設立するために奔走。1899(明治32)年、ついに、巣鴨に「家庭学校」を設立した。日本に感化法ができて公立の施設が法定化される前年のことである。
 1914(大正3)年には、北海道上湧別村字社名淵(かみゆうべつむらあざしゃなぶち)に家庭学校の分校と農場を開設。北海道と東京を行き来しながら、これらの学校を指導監督した。
 1934(昭和9)年に留岡が死去後、翌1935年には巣鴨家庭学校は高井戸に移転し、時代の推移につれて少年保護施設、養護施設、そして児童養護施設として現在にいたっている。
 この留岡幸助の生涯を描く映画「大地の詩(うた) -留岡幸助物語-」が製作され、2011年春公開予定である。山田火砂子監督のもと、主演村上弘明さん、妻役に工藤夕貴さんというキャストで、2010年10月下旬には出身地である高梁市でロケも行われている。

 参考資料:「あっぱれ岡山人」(H22 第25回国民文化祭岡山県実行委員会 発行)
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