所長室の二つの花瓶には、いつも美しい花が飾られている。館内の清掃業者の方が生けてくださっているのだ。 花は、その方が実家の野や山に自生しているものを自宅でさし木をしたり、種をまいたりして育てたものだそうだ。シャクナゲやヤマブキなど馴染みの深いものや、ニゲラやミヤコワスレなど珍しいものなど様々であるが、どの花も清楚な中にもけなげさや凛々(りり)しさがあり、時には堂々とした風格さえ感じる。花を生けてくださっている方は、その姿を「かわいい」と表現する。その言葉には美しさや可憐さとともに花に対する愛情を含んでいる。私が、「花を見ていると心がやさしくなる気がする。」と言うと、「花が喜んどるわ。」と言われる。花の立場の言葉だ。その方が、どんな気持ちで花を育られているかを伺わせる。 何年か前、小学生の子どもをもつお母さんが、「うちの子どもは、五百メートルほどの通学路なのに帰ってくるのに一時間近くもかかるんですよ。」と話されていたのを思い出した。どうもその子は、文字通り道草をしていたらしい。道端に咲いた草花を時間がたつのも忘れて、じっと見ていたのだそうだ。学校であった楽しかったことを花に報告をしていたのか、つらかったことを話してなぐさめてもらっていたのか、想像するとその子が愛(いと)おしく思える。帰りが遅いことをしからず、見守っていた母の姿はあたたかい。きっと帰り道は、その子の生きる力につながったに違いない。そして、人の痛みのわかる優しい子に育っているだろうと思う。 「豊かな心の育成」は、本県教育の重要な柱である。少子高齢化の進行、国際化・情報化の進展など、急激に社会が変化し、それに伴って、人の生活環境は変わり、価値観も多様化してきている今、美しいものを美しいと感じ、人の痛み、苦しみ、喜び、悲しみを共有して思いを寄せることができる「豊かな心」をもつことが、人と協調し、自律的に社会生活を送る基礎として、益々(ますます)重要なこととなっている。 我々大人は、自身が柔らかな感性と思いやる心をもち、子どもたち一人一人に応じた豊かな心を育(はぐく)むきっかけを見つける努力をしなければならない。 花瓶に飾られた花を見ながら、改めて自分自身の使命を感じる。 |