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原子物理学の父「仁科芳雄博士」ゆかりの地 今年(2005年)は世界物理年!

原子物理学の父「仁科芳雄博士」ゆかりの地 今年(2005年)は世界物理年!

 東京都文京区本駒込。原子物理学の父と呼ばれる仁科芳雄博士の研究室がそのままそっくり残されている。かつての理化学研究所(現在は仁科記念財団)の建物の中の一室。扉を開き、部屋の中に入ると異空間に飛び込んだような気持ちになる。厳粛な空気が漂う。仁科博士が使った机、書籍がぎっしり詰まった本棚、ニールス・ボーア博士との写真、そして仁科博士の筆跡を感じることができる黒板(レプリカ。本物は理化学研究所にある(和光市))。博士は1935年~1951年まで、まさにこの一室で研究に携わっていた。
 仁科博士は、1890年、現在の里庄町に、農業と製塩業を営む両親の第八子四男として生まれた。人の出入りの多いオープンな雰囲気の中で少年時代を過ごした。東大で電気工学を専攻、首席で卒業後、理化学研究所研修生となり、1921年、留学生としてイギリスケンブリッジ大学へ。後にコペンハーゲンに移り、生涯の師となる「量子力学の父」ニールス・ボーア博士と出会う。七年余のヨーロッパでの研究生活の中、世界の俊英たちとともに量子力学の研究に打ち込み、共同研究者クラインと共に、現在でも使われている重要な公式「クライン│ニシナの公式」を導出した。帰国後は、理化学研究所を舞台にして自らも精力的に研究に取り組みながら、湯川秀樹・朝永振一郎といった後のノーベル物理学賞受賞者をはじめとする多くの後進を育てた。研究室は活気にあふれ、博士は研究者たちから「親方」と呼ばれ、慕われる存在であった。第二次世界大戦中は、軍事関係の研究を強いられた。新型爆弾が投下された直後の広島に陸軍機で飛び、次いで長崎に向かった。そこで目にした惨状からすぐに「原子爆弾と認む」と判定し、戦争終結を促した。戦後初の文化勲章を受章したが、1951年、不幸にも途半ばにして逝去。没後設けられた仁科記念財団による仁科記念賞は、権威ある物理学賞として研究者たちの登竜門となっている。
 折しも今年(2005年)は世界物理年。20世紀最大の科学者の一人アルバート・アインシュタインが革命的な三つの論文を発表してからちょうど100周年になる記念の年。八月には記念イベントの一つ、高校生等を対象にした日本で初めての物理学コンテスト「物理チャレンジ2005」が博士の故郷、岡山県で開かれる。(県青少年教育センター閑谷学校にて)また、仁科記念財団創立50周年にもあたり、様々な記念行事が行われる。11月12日から、上野の国立科学博物館で開催される「日本の科学者技術者展シリーズ・第2回」では、仁科博士の研究室が再現される。また、新たに発見された博士の手紙をはじめ、多数の初公開書簡も掲載される書簡集が出版される予定だ。
 世界物理年の2005年。岡山県が輩出した「原子物理学の父」仁科芳雄博士の人となりと業績に触れてみてはいかがだろう。
仁科芳雄博士の研究室
仁科芳雄博士の写真

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