「一病息災」という言葉を時々耳にする。誰が使い始めたか不勉強であるが、内田百閒の随筆に同名のものがある。ただ、今日使われているのは、百閒の文脈とは異なり、「一病ある方が無病より健康に注意するのでかえって長生きする。」くらいの意味である。良くできた造語だが、「一病」で「息災」とは自家撞着であり、違和感があった。 ところが、今年の人間ドック。三十年吸った煙草を断って一年余、反動で体重が増加した以外は、数値改善を確信して臨んだが、結果はどれも悪化。昨年までのメタボ予備軍が、晴れて該当者に昇格した。加えて肺機能年齢が実年齢より十歳高いと出た。近頃話題のCOPDである。軽度とは言え「二病」を同時に得たところでようやく気付いた。このまま何の注意もせずに過ごしていれば、何病でも増えるであろう、と。医者知らずだった若き日は、今や懐かしい思い出に過ぎない。 健康増進法は、生涯にわたる健康増進への努力を国民の義務と定めた。人々の健康への関心は空前の高まりを見せ、トクホなど健康機能食品の市場は数千億円と言われる。メタボ対策は今や国民的ムーブメントである。 あらためて申せば、健康診断の目的は、生活習慣改善のきっかけ作りと、疾病の早期発見・早期治療にある。当課では、定期健診よりもさらに詳細な検査が受けられる人間ドックについて、三十歳以上の希望者全員が受診できることとしている。是非御活用いただきたいと思う。 ところで、厚生労働省では今年度末までにがん検診受診率五割を目指し、公共広告でも繰り返し訴えるが、達成は難しそうだ。一方で、本県の教職員のがん検診受診率は、いずれの検診項目でも対象者の六割を超える。また、日本人に多い胃がんによる休職者が教職員に比較的少ないのは、学校保健安全法で、四十歳以上に胃検診が義務付けられていることと無関係ではないと考えられる。早期発見に役立っているのは間違いない。 話は戻るが、百閒が冒頭の随筆を書いたのと現在の私と、偶然ながら同年齢である。「無病」と「息災」では重複だと強がった郷土出身の名文家は、持病に悩みつつその後三十年を生きた。しかし、同じ人生八十年なら、できれば「無病息災」を目指したい。国民の義務を果たすべく、生活習慣の改善に、明日から取り組もうと思う。 |