本文
ももたろうの防災(本編)3・4ページ
被災者の声
当初は、マンホールというマンホールがほとんど浮き上がっているし、家は倒壊して道を塞いでいるしで全然駄目だった。
空き巣の被害にあった。治安が極度に悪化するので、戸締まりの確認や定期的な見回りをするべきだった。
避難所の小学校で校長先生が卒業生を応援に呼んだり、トイレの使い方を決めたりしていた。
避難所でのリーダーの大切さを感じた。
髪が洗えないことが予想以上に苦痛だった。寒い時期だったのでお風呂で暖まれないことも辛かった。
避難所での生活で一番困ったことはやっぱりトイレだった。下水も上水も断水していたので、学校のトイレは全て大便で埋まっていた。あとは簡易トイレ、災害用の段ボールの簡単なトイレを使い、ビニール袋の中に凝固剤を入れてやっていた。かなり大変な状況だった。
自衛隊の方々による食事の準備は非常に早かったが、それをもらうのに1~2時間立って並んだ。
ガソリンを手に入れるのに苦労した。普段から早めに給油したり、ガソリンスタンドの場所を確認しておくことが大切と感じた。
一旦避難したのに、忘れ物を取りに帰って津波に飲まれた方がいた。警報が解除されるまで、絶対に戻ってはいけない。
電気がないと生活の基本が全くできないと痛感した。電気が復旧したときが一番うれしかった。
災害対策に十分や万全はないと思う。いつ、なんどき、何が起こっても大丈夫だという覚悟を持って生活することが大切だと感じた。他の人や物に頼ることも時には必要だが、まず自分自身がそう
いう覚悟をしているかで、有事の行動を左右すると思う。
水汲みに初日1時間、2日目3時間待ち。寒くて死にそうだった。しかもポリタンクを持っていなかったので、ペットボトルに2~3本しか確保できなかった。
避難所で子供が泣くので、他の方に申し訳なく、車の中で過ごした。
震災前は挨拶程度だった近所の方々と、震災直後からは助け合い、辛い状況を乗りこえることができた。地域のつながりの大切さを感じた。
携帯電話の電池が切れ、バッテリーも持っていなかったので、連絡のためのアドレスが見れず、 連絡を取れなかった。
車いすのため、移動する際に道が寸断されていて、通れる道を探すのが大変だった。避難所も車いすを使用している人間には非常に不便だった。
子供のオムツがなくて不安だった。近くのスーパーに5時間並んでやっと手に入れた。
避難して車中泊していた。ラジオやワンセグはついたけれど、被害の全容がわからなかった。ライオンが逃げたとか、ショッピングモールが燃えているとか、デマも流れていた。
避難指示が出た時は、まだ水害が発生するとは思ってなかった。河川の土手が決壊したということがわかっていたら、早く避難していたと思う。
岡山は災害の少ない県だと思い、他県で被害があるのを他人事のように見ていたが、自分が被災し、初めてその大変さを知った。
当初は、マンホールというマンホールがほとんど浮き上がっているし、家は倒壊して道を塞いでいるしで全然駄目だった。
空き巣の被害にあった。治安が極度に悪化するので、戸締まりの確認や定期的な見回りをするべきだった。
避難所の小学校で校長先生が卒業生を応援に呼んだり、トイレの使い方を決めたりしていた。
避難所でのリーダーの大切さを感じた。
髪が洗えないことが予想以上に苦痛だった。寒い時期だったのでお風呂で暖まれないことも辛かった。
避難所での生活で一番困ったことはやっぱりトイレだった。下水も上水も断水していたので、学校のトイレは全て大便で埋まっていた。あとは簡易トイレ、災害用の段ボールの簡単なトイレを使い、ビニール袋の中に凝固剤を入れてやっていた。かなり大変な状況だった。
自衛隊の方々による食事の準備は非常に早かったが、それをもらうのに1~2時間立って並んだ。
ガソリンを手に入れるのに苦労した。普段から早めに給油したり、ガソリンスタンドの場所を確認しておくことが大切と感じた。
一旦避難したのに、忘れ物を取りに帰って津波に飲まれた方がいた。警報が解除されるまで、絶対に戻ってはいけない。
電気がないと生活の基本が全くできないと痛感した。電気が復旧したときが一番うれしかった。
災害対策に十分や万全はないと思う。いつ、なんどき、何が起こっても大丈夫だという覚悟を持って生活することが大切だと感じた。他の人や物に頼ることも時には必要だが、まず自分自身がそう
いう覚悟をしているかで、有事の行動を左右すると思う。
水汲みに初日1時間、2日目3時間待ち。寒くて死にそうだった。しかもポリタンクを持っていなかったので、ペットボトルに2~3本しか確保できなかった。
避難所で子供が泣くので、他の方に申し訳なく、車の中で過ごした。
震災前は挨拶程度だった近所の方々と、震災直後からは助け合い、辛い状況を乗りこえることができた。地域のつながりの大切さを感じた。
携帯電話の電池が切れ、バッテリーも持っていなかったので、連絡のためのアドレスが見れず、 連絡を取れなかった。
車いすのため、移動する際に道が寸断されていて、通れる道を探すのが大変だった。避難所も車いすを使用している人間には非常に不便だった。
子供のオムツがなくて不安だった。近くのスーパーに5時間並んでやっと手に入れた。
避難して車中泊していた。ラジオやワンセグはついたけれど、被害の全容がわからなかった。ライオンが逃げたとか、ショッピングモールが燃えているとか、デマも流れていた。
避難指示が出た時は、まだ水害が発生するとは思ってなかった。河川の土手が決壊したということがわかっていたら、早く避難していたと思う。
岡山は災害の少ない県だと思い、他県で被害があるのを他人事のように見ていたが、自分が被災し、初めてその大変さを知った。
