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津島ミュージアムだより 第十六回「『上東(じょうとう)式土器』は弥生後期の吉備の顔!」

印刷ページ表示 ページ番号:0959655 2025年2月21日更新文化財課

第十六回 「上東(じょうとう)式土器」は弥生後期の吉備の顔!

 「上東(じょうとう)式土器」は弥生後期の吉備の顔!

 発掘調査によって出土する遺物は様々ですが、なかでもポピュラーな遺物として、「土器」の存在が挙げられます。津島遺跡の発掘調査においても、これまでにたくさんの弥生土器が出土しています。

 貯蔵用の壺(つぼ)、煮炊き用の甕(かめ)、食器として用いられたと考えられる高坏(たかつき)や鉢(はち)など、弥生時代後期の土器は用途に応じて多様な種類に分化していたことが明らかになっています。

 また、地域色豊かな形状もこの時代の土器の注目すべき点です。出土する土器の形状には地域によって特徴の違いがあります。なかでも、上部が細長くすぼまる長頸壺(ながくびつぼ)や、上下が大きく開く器台(きだい)などは、弥生時代後期の吉備南部の平野部を中心とする地域に特徴的な土器として知られています。これらの土器は、過去の掘削や発掘調査でまとまって多数が出土した倉敷市の上東(じょうとう)遺跡にちなみ、「上東(じょうとう)式土器」と呼ばれています。

 津島遺跡でも、この上東式土器が多数見つかっています。この土器の出土により、その遺構が弥生時代後期に形成されたものだと推定できます。また、吉備南部以外の地域でこの土器が見つかれば、その地域と吉備南部との交流や流通を想定することもできます。このように、上東式土器は「弥生時代後期の吉備を象徴する顔」の一つであるといっても過言ではないのです。

(ミュージアムスタッフ Y)

 

上東式土器  ミュージアムで展示中の上東式土器