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津島ミュージアムだより 第六回「桃核 卑弥呼の時代の桃が見つかった!」
第六回「桃核 卑弥呼の時代の桃が見つかった!」
桃核 卑弥呼の時代の桃が見つかった!
今回のコラムは打って変わって、発掘調査の際に見つかった出土品についてお話させていただきます。第六回は、津島遺跡から出土した「桃核(とうかく)」についてです。桃核とは、古代のモモの果肉の内部にある核(内果皮)で、種子などを含む箇所です。
古来より果実には聖なる力があると考えられ、西洋では林檎、東洋では桃がよく知られています。さらに、古代中国の神仙思想では、桃は不老不死や魔よけの呪力があるとされています。日本列島では縄文時代の遺跡からも桃核は出土しますが、弥生時代以降の遺跡に多く見られます。
津島遺跡の弥生時代後期末の河道からは、2,415個の桃核が見つかりました。このようにまとまって見つかることは、大変稀な事です。
全国的に一つの遺跡からの出土数として最も多いのが、岡山県上東遺跡の9,608個で、二番目が邪馬台国畿内説では最有力地とされている、奈良県の纏向(まきむく)遺跡の2,769個です。そして、出土数の三番目に位置づけられるのが、津島遺跡なのです。出土した地点からは、上東遺跡と同じくマツリで使われたと考えられる楯や木弓が一緒に見つかっていることも注目です。
では、これらのおびただしい桃は何に使われたのでしょうか?2世紀後半ごろの記事をまとめた中国の史書「魏志倭人伝」には、邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)が倭国を鬼道(きどう)で支配したと記されています。この記事を参考にすると、津島遺跡の桃は、水辺で行われたマツリでうやうやしく捧げられた果実とは考えられないでしょうか?
(ミュージアムスタッフ M)
写真「桃核」
遺跡&スポーツミュージアムに展示中
(参考)
岡山県古代吉備文化財センターホームページ 「古代のモモ」