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津島ミュージアムだより 第三回「夏季の調査に欠かせない「寒冷紗(かんれいしゃ)」は岡山が発祥!!」

印刷ページ表示 ページ番号:0883282 2023年10月23日更新文化財課

第三回「夏季の調査に欠かせない「寒冷紗(かんれいしゃ)」は岡山が発祥!!」

 夏季の調査に欠かせない「寒冷紗(かんれいしゃ)」は岡山が発祥!!

 

 夏季の発掘作業において最も重要なのが熱中症対策です。この対策のために今や全国各地の発掘調査現場で用いられているのが寒冷紗です。

 

 それは、一辺10メートル四方に織られた黒色の科学繊維であり、その四隅を長さ約6メートルの竹4本で立ち上げ、日除けとして使います。

高く掲げ広く現場を覆うことで日差しは遮られ、その下は外より快適な作業空間となり、作業効率も高まります。津島遺跡の調査でも大いに

役立ってきました。

 

 ところでこの寒冷紗ですが、いつどこで始まったかを知る人は少ないと思います。実は、このきっかけは昭和59(1984)年に岡山県教育委員

会が行っていた足守川加茂B遺跡(岡山市)での発掘調査中にあったのです。

 

 この調査現場は堤防と堤防の間に挟まれた川の中にあったことから風通しが悪く、6月から始まった現場はまさに暑さとの戦いでした。

その対策のために担当調査員と発掘作業員によって考案されたのが寒冷紗だったのです。その材料となったのは藺草(いぐさ)が風で倒れないよ

うに周囲に巻いていた幅2メートルの黒色の薦(こも)でした。

 

 岡山県はかつての藺草の一大生産地でしたが、その生産者でもあった作業員さんが古い薦を持ち帰り、調査区の大きさに合わせて大型の針で

編んで広くし、各辺を竹で繋いで一枚の大型寒冷紗となったのです。

 

 寒冷紗を準備して持ち上げるのは、最初は時間も労力もかかる大変なものでしたが、この快適空間はたちまち評判となり、より簡易なものに

できないかという要望が出てきたため、調査を担当する岡山県古代吉備文化財センターが業者に試作品を依頼し、改良を重ねて現在の寒冷紗と

なったのです。

 

 以降、岡山県が夏季に行う発掘調査では寒冷紗の設営は定番化し、材料となる竹が成長した6月頃になると各現場では寒冷紗の下での調査と

なるのです。

 

 寒冷紗を導入して間もない頃は、全国各地から岡山県の発掘調査現場の視察に訪れる県外の方々には寒冷紗がかなり興味深く映ったようで

そこでサンプルの提供を希望し持ち帰る方も多くいました。

 

 こうして、藺草の一大生産地岡山を支えた生産者の発想から生まれた寒冷紗は各地へと広がり、今では全国の夏季の発掘現場では必要不可

欠な発掘アイテムとなっています。 

 

(ミュージアムスタッフ S)

 

寒冷紗​ (写真)寒冷紗を使用した発掘調査現場