最近、山田方谷をNHKの大河ドラマにとの動きや、彼が再興した旧閑谷学校を世界遺産へとの活動が起こっている。郷土の偉人や史跡について、身近に触れ、学ぶことは、自分の生き方を考えていく上でも大切なことである。 旧閑谷学校の論語講座には、小・中学生や高校生だけでなく一般の方も参加している。国宝である講堂の板の間で、緊張感を持って論語の一節を朗誦することは、現代の慌ただしい生活の中で、自分を取り戻す絶好のチャンスではないだろうか。 さて、私たちの生活の中には、「巧言令色、鮮なし仁」「己の欲せざる所を人に施すなかれ」「義を見て為さざるは勇無きなり」など、論語とは知らずに使っているものも多い。 また、論語ではないが、古来、「衣食足りて礼節を知る」(『管子』)とか、「飽食暖衣、逸居して教えなければ禽獣に近し」(『孟子』)と言われてきた。人は生活が安定すれば礼節をわきまえるようになるが、安穏として、人の道を学ばなければ鳥や獣と何ら変わらないと、教えや学びの重要性を説いている。 学びに関して、論語では「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや」と説き、聖賢の教えを学んで実践することの喜びについて触れ、「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」、つまり学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味が分からないし、考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危ないと説く。学んだことを基に深く考え、実践に移すことが大切だという。知識の習得を重視した学習と問題の解決を重視した学習の両面が重要だということであり、まさに、現在の学校での授業の在り方に通ずるものである。 因みに、論語の入門編としては、中島敦の『弟子』や下村湖人の『論語物語』がよい。孔子を取り巻く人間関係や孔子の教えなどが物語として書かれており、論語への親しみがわきやすい。 さて、今年は甲午歳。私は還暦を迎える。孔子は「五十にして天命を知り、六十にして耳順い」と語ったが、私の場合、「任重くして道遠し」の心境である。せめて「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」といった決意と、感謝の気持ちで職務に邁進していきたいと念じている。 |