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教育時報 標点

印刷ページ表示 ページ番号:0357851 2014年1月15日更新教育政策課

平成25年12月号(通巻771号)

岡山教育事務所長

教師の魅力 

  岡山教育事務所長  中 野 留 美                            

 師走 必ずしも先生が走るという意味ではないようだが、実際に先生は忙しい。忙しすぎて、教師の魅力まで失ってしまってはいないだろうか。
 十二月も中旬になると、期末試験を終えた高校生が、町道場の夜の稽古に顔を出す。剣道の防具を担いで、礼儀正しく「先生、恩返し稽古に来させて頂きました。」と。方言でいう「おせらしく」なった様子である。小さな頃からお世話になっているお礼の意味もあろうし、上手になった自分を見てもらいたいという誇らしげな気持ちもあろう。いずれにせよ、小学生の頃、いつも泣きながら掛かってきたことを思い出すにつけ、その成長ぶりはうれしいものである。高校での活躍も耳にする。教える者にとって、その子の成長に出会う時が、一番の喜びである。
 ところが最近は、教育課題が山積し、教師の多忙感のみがクローズアップされがちである。
 先日、昔の教え子から何年かぶりに、はがきが届いた。「小学校六年生になった我が子が、思春期に入ったのか、子育てが、少しずつ難しくなってきた様に思います。先生のおっしゃっていた言葉を思い出しながら、声かけをしています。」という内容であった。どんな言葉をかけていたかは覚えていない。
 ある朝、ラジオから「誰もが昔は生徒でした。教室で、グラウンドで、先生がくれた言葉に今、ありがとう」という純名里沙さんのナレーションが耳に入った。全国から寄せられた「先生のひとこと」とその時のエピソードが流れる。純名さんは、「先生が一生懸命に生徒の事を考えて託した言葉はあたたかく、やさしく、力強く心に響き、いつしか生徒の人生の道しるべになっていることを先生方はご存じなのでしょうか。」と言う。(TOKYO FM「ありがとう、先生!」より)
 教師は、人を育てるという崇高な仕事でもあるだけに責任が重い。それだけ、やりがいもある。また、一方において、子どもたちとふれあうことは心底楽しい。授業で子どもたちが「分かった。」となれば、なおさらである。そこには多くの喜びと感動がある。
 より多くの若者が、そんな魅力ある教師になりたいと思うことを期待する。
 教師の魅力は、今でも失われてはいないし、決して、失ってはならない。