平成二十二年度から昨年度までの三年間、前任校で教壇に立ちました。授業をするのは、平成五年度以来十六年振りでした。二年次(理系)三クラス週六コマの「現代社会」。教科書や指導ノート、新聞のプリント等を抱えて、毎時間、どきどきわくわくしながら教室に向かいました。 ある日の授業前、廊下で生徒と話す機会がありました。 「教頭先生って、すごいです。」 私は、てっきり授業の内容を褒めてくれていると思い、うれしくなりました。 「教頭先生は、教室を出るときも、礼をされるんですね。」 「はあ?」 そういえば……。再び教壇に立つようになってから、授業後、前側の出入り口で、教室に向かって礼をしていることを思い出しました。その生徒は、そんなささやかな仕草も見ていたのです。 私にとって、教室はとても大切な場所でした。教員と生徒がお互いの存在を高め合う場所。共に学び合う生徒に全力で対峙(たいじ)する場である教室に、感謝の気持ちを込めて、自然に頭(こうべ)を垂れていたのでした。この四月から再び県教育庁に勤務している私にとって、この短い会話は、前任校での印象に残っている思い出の一つです。 グローバル化や少子高齢化など社会が急激に変化する中、心豊かにたくましく未来を拓(ひら)く人材を育てる教育に、社会全体で取り組むことが求められています。学校では、教員が生涯にわたって自主的に学び続ける存在となるとともに、同僚と共にチームとして対応する力など総合的な人間力を身に付けることが大切になっています。 久しぶりの学校現場には、生徒たちと真剣に向き合う同僚たちの姿がありました。また、教えるためには、生徒一人一人を理解しながら、どれほど準備をしなければならないかを身をもって再認識することができ、教員の専門性の一つは、常に学び続けることだと改めて感じました。 学び続けるためには、謙虚でなくてはならない。生涯にわたる学習者として教員が学び続ける姿は、生徒たちの在り方や生き方の模範ともなる。これらの大切なことを学べた三年間でした。 授業後、教室に一礼をして職員室に帰る私の姿を見た生徒たちが、これからどう成長し、社会に貢献する人材になっていくのか、私は楽しみにしています。私は、自分が今生きる場で、教育県岡山の復活を目指していきたいと思っています。 |