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高梁川合同堰(湛井堰)
高梁川合同堰(湛井堰 たたいぜき)
説明
総社市井尻野(いじりの)にある高梁川合同堰は、それまでの湛井堰(たたいぜき)と上原井領堰(かんばらいりょうぜき)の合同堰として昭和40年に完成したもので、約1万2千haの農地を潤しています。 湛井堰の起源は古く、平安時代までさかのぼるといわれており、築造にまつわる古い言い伝えがあります。 【言い伝え】 その頃、妹尾郷(現在の岡山市妹尾)に妹尾兼安(せのおかねやす)と言う強い武士がいました。彼は、妹尾郷の領主として、農業を盛んに行っていました。しかし、雨の少ない年には、ほとんどお米や野菜がとれませんでした。 そこで、兼康は、高梁川に堰を造って、高梁川から水をひくことにしましたが、どこに堰を造るのが一番良いか決まらなくて、大変困っていました。 そんなある日、高梁川を見つめていた兼安の目に、一匹の白蛇がするすると流れの速い川を横切り、向こう岸にわたるのが映りました。神様のお告げだと感じた兼安は、さっそくそのあたりに堰を造ることにしました。そうして出来たのが、今の所にある「湛井堰(たたいぜき)」です。 | |
高梁川合同堰(湛井堰) |
現地への経路
総社市内、JR伯備線の国道180号高架橋から北へ約2km進んだ高梁川の土手に上がるところ
周辺ガイド
合同堰の東には、画聖雪舟が幼いころ修行し、涙でねずみを描いたという伝説で有名な宝福寺があります。 |