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岡山の戦国時代・宇喜多直家の舅の可能性がある中山備中守勝政の書状、初めての発見

印刷用ページを表示する2020年8月4日更新県立博物館

 岡山県立博物館で調査をしていた、倉敷市の般若院所蔵資料の中から、「中山備中守勝政」の書状が見つかりました。

 中山備中守は、備前国上道郡の沼城(現在の岡山市東区沼)の城主とされ、『太閤記』(寛永年間<1624~1645年>刊行)などには、宇喜多直家の舅で直家に殺害されたと記されています。

 また、中山備中守の名について、『吉備前秘録』(1740年代成立)など一部の江戸時代の地誌には「信正」と記されています。

 今回見つかった書状は、天文年間の終わりから永禄年間の初めごろまで(おおむね1540年代後半から1550年代)と推定されることから、宇喜多直家の舅は、「中山備中守勝政」であったことになり、また、中山備中守の実名(諱)が記された史料としては初めての発見となります。

 この書状は、「おか弥五郎」分のことについて「豊前守殿」に使者を送った際、「久志良小七郎」と「目墨与三左衛門尉」が取りなしをしてくれたことに対する礼状です。この書状だけでははっきりしないことも多いですが、岡山市東部、旭川東岸から吉井川西岸にかけての地域における戦国時代を考える上で貴重な史料になると思われます。

書状署名部分書状の読みと大意

(左:中山備中守勝政の書状の署名部分、右:中山備中守勝政の書状全体)

 

【注】

おか弥五郎:初出人物で詳細は不明。

豊前守殿:

 龍ノ口城(現在の岡山市中区祇園・四御神)城主であった「税所豊前守久経」の可能性がある。この人物は天文21(1552)年ごろの史料に名前が見え、また税所氏は旭川河口地域の領主連合の盟主的存在と考えられる。

内山方:内山氏(人物)もしくは内山城(現在の岡山市東区古都南方)のことかと推定される。

久志良小七郎:

 初出人物。文明8(1476)年11月28日付け浦上則宗書状(西大寺文書)の中に「久志良次郎兵衛」の名が見え、同族の可能性がある。また、現在の瀬戸内市邑久町福中に久志良村があった。

目墨与三左衛門尉:初出人物で詳細は不明。「目墨」は「目黒」の誤記等の可能性がある。