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平成18年度指定岡山県重要文化財等の紹介

岡山県教育委員会は、岡山県文化財保護審議会の答申に基づき、平成19年3月16日付けで岡山県指定重要文化財を新たに3件指定し、1件追加認定し、岡山県指定重要無形文化財保持者1人を追加認定しました。

番号

種別

名称・員数等

所有者住所等

所有者

絵画

絹本著色阿弥陀三尊来迎図 1幅

和気町原

宗教法人
元恩寺

古文書

豊楽寺文書 33通・2冊

岡山市建部町豊楽寺

宗教法人
豊楽寺

建造物

佛教寺鎮守社本殿 附 天保六年棟札 1枚

久米南町仏教寺

宗教法人
佛教寺

建造物【追加指定】

穴門山神社本殿及び拝殿 附 棟札 6枚

高梁市川上町高山市

宗教法人
穴門山神社

無形文化財【追加認定】

備前焼製作技術 吉本 正志(雅号 吉本 正)

備前市閑谷在住

 

 


【1】

1.種別 重要文化財 絵画
2.名称及び員数 絹本著色阿弥陀三尊来迎図 1幅
3.所在地 岡山市後楽園1番5号 岡山県立博物館
4.所有者 宗教法人元恩寺(和気郡和気町原)
5.寸法 縦72.0cm、横33.9cm
6.製作年代 14世紀前半
7.説明  岩生山元恩寺は天台宗寺院で、寺伝によれば、天平勝宝元年(749)孝謙天皇の勅命により備前四十八カ寺が開創された際、その一つとして創建され、康保元年(964)信源上人によって現在地に移転され、盛時には36坊を数え、七堂伽藍が整っていたという。
 本図は、紫雲に乗った阿弥陀如来が来迎印を結び、左下を向いて踏割蓮華座に立ち上がった姿が画像中央部に、また、その中尊阿弥陀の向かって右前方には観音菩薩が蔀をあげた屋内に向けて蓮台を差し出すように腰をかがめた姿が、さらに中尊の同じく左前には合掌している勢至菩薩が描かれている。
 描き起こしに用いられている線描は細く流麗であり、切金は丁寧で破綻もなく、蓮弁の華脈の穏やかな曲線が美しく施されているなど、その技法は高く評価される。
 本図の製作時期は、萬福寺(島根県益田市)に伝わる国指定重要文化財二河白道図や知恩院(京都市)の国宝阿弥陀二十五菩薩来迎図などと比べて、14世紀初めごろの表現様式から若干の形式化が進んでおり、鎌倉末期から南北朝初期と考えられる。個人の念持仏である三尊来迎図として当時の典型例である。
 また製作以後の補筆や補彩等がほとんど入っておらず、当初の状態をかなりよく残した仏画として県内では稀有な作品である。

絹本著色阿弥陀三尊来迎図


【2】

1.種別 重要文化財 古文書
2.名称及び員数 豊楽寺文書  33通・2冊
3.所在地 岡山市後楽園1番5号 岡山県立博物館
4.所有者 宗教法人豊楽寺(岡山市建部町豊楽寺)
5.製作年代 正平7年(1352)から宝暦12年(1762)
6.説明 静謐山豊楽寺は、由緒書によれば和銅2年(709)玄肪の開基と伝えられる真言宗寺院で、中世には美作南部・備前北部の密教道場として栄えた。
 寺に伝わる主な文書は、現在7巻の巻子仕立てにされた27通と未装丁の6通及び2冊からなっている。内容としては、沼元兼家ら地元豪族からの田地寄進状をはじめ、土地売券など寺領に関するものが中心で、その他、寺中定書など寺の規範に関するもの、山名師義や赤松則実ら室町幕府有力大名の一族の発した文書などからなっている。文書の中には、応永年間(1394~1428)ごろの豊楽寺の院坊から「志呂神社御供」(岡山県指定重要無形民俗文化財)という行事への出仕の順番を記したものや周辺地域の中世武士の戒名が記された江戸時代初期の筆致とみられる永代帳(過去帳)も含まれている。
 美作地区には、まとまった中世文書があまり伝存しておらず、当該地域の中世の歴史を解明するにあたって不可欠な文書群である。

豊楽寺文書


【3】

1.種別 重要文化財 建造物
2.名称及び員数 佛教寺鎮守社本殿 1棟  附 天保6年棟札 1枚
3.所在地 久米郡久米南町仏教寺84番地
4.所有者 宗教法人佛教寺
5.構造形式 三間社流造、銅板葺
6.建築年代 16世紀前期

7.

説明 

 医王山佛教寺は美作南部の真言宗寺院で、寺伝によれば和銅6年(713)に草創され、9世紀に陽成天皇の病気平癒に霊験があったため官寺に列し、中世には大きな伽藍を備えていたが、戦国期に灰燼に帰したという。
 鎮守社は、本堂背後の一段高い場所に南面して建っている。沿革については不明で、『久米郡誌』(大正12年刊行)の記述等により、これまで寛文2年(1662)の再建とされてきたが、手挟や作出しの実肘木など細部様式から判断して建立年代は15世紀末期から16世紀前期にさかのぼるとみられる。社殿内には天保6年銘の修理の棟札が残されている。
 構造及び形式は、三間社流造、屋根は銅板葺、身舎軸部は円柱を切目長押、内法長押、頭貫で固める。組物は正面を出三斗、側面・背面を平三斗とし、軒は二軒繁垂木、妻飾りは虹梁大瓶束とする。庇は角柱を腰長押、頭貫で固め、組物は三斗枠肘木、中備はない。天井は外陣は鏡板天井、内陣は棹縁天井とする。屋根は当初の大半の材が失われているが、梁・棟木・貫などに古材が残されている。
 本建築は、その様式から見て創建が室町時代にさかのぼると考えられ、江戸前期の大きな修理を経てはいるが、全体として当初の形態を残している。県内には全国的に普遍的な本殿形式である三間社流造の中世における指定例がこれまでなく、この本殿は非常に貴重なものである

佛教寺鎮守社本殿 附 天保6年棟札


【4】(追加指定)

1.種別 重要文化財 建造物
2.名称及び員数 穴門山神社本殿及び穴門山神社拝殿 附棟札 6枚
3.所在地 高梁市川上町高山市1035番地
4.所有者 宗教法人穴門山神社
5.品質及び形状 檜材
6.説明  本件は、昭和52年に本殿(宝暦3年再建)が、平成7年に拝殿(17世紀末ごろ再建)が県指定重要文化財となった穴門山神社の再建や修理にかかわる棟札である。この中で最古の寛永14年(1637)のものは、同年に備中松山藩主の池田長常が施主となって本殿が再建された際のもの、宝暦3年(1753)のものは、現在の本殿が再建されたときのものである。その他の棟札も藩主水谷氏による屋根葺替えを記録したものなど、建造物の履歴にとって重要な資料である。

穴門山神社本殿及び穴門山神社拝殿 附棟札

  • ≪内訳≫
  • 番号年月日西暦法量材質仕上木取内容
    寛永14年2春吉祥日1637総高128.0cm、肩高127.2cm、上幅17.9cm、下幅18.0cm、厚さ1.5cm台鉋板目本殿造立棟上一宇 大施主池田長常
    寛文9年5月吉日1669総高106.5cm、肩高105.7cm、上幅18.1cm、下幅18.2cm、厚さ0.9cm台鉋板目穴門山赤浜宮再建上葺 施主水谷勝家
    宝暦3年3月吉日1753総高115.4cm、肩高113.5cm、上幅17.3cm、下幅16.6cm、厚さ2.0cm台鉋板目再建立穴門山赤浜宮大権現本殿 施主神主松岡倫家
    慶応4年8月日1868総高162.7cm、肩高161.1cm、上幅23.0cm、下幅18.6cm、厚さ2.3cm台鉋板目穴門山赤浜宮本殿葺替 松岡宣家
    大正13年11月23日1924総高65.5cm、肩高65.5cm、上幅18.1cm、下幅18.1cm、厚さ1.1cm台鉋板目穴門山神社本殿釣屋修繕 
    大正13年11月23日1924総高51.5cm、肩高48.9cm、上幅16.0cm、下幅14.9cm、厚さ1.0cm台鉋板目穴戸神社本殿屋根葺替工事

【5】(追加認定)

1.種別 重要無形文化財
2.名称 備前焼製作技術
3.保持者の氏名 吉本正志 (雅号 吉本正)
4.所在地 備前市閑谷
5.説明  吉本氏は和気郡伊里村閑谷(現、備前市閑谷)に生まれ、昭和39年に重要無形文化財保持者の故藤原啓氏の唯一の内弟子となり、以後19年間師事した。その間、昭和50年には閑谷に自らの窯を築き、その初窯で同年日本伝統工芸展に初入選し、注目を集めた。
 作風は単純明快を追求し、自由におおらかに作り出される大物の壺や花入れなどによくそれが表出され、師匠譲りの風趣がみごとに活かされている。また、かせ胡麻や緋などの窯変を意図した作品にも佳品が多い。とりわけ、氏が独自に取り組んできた「たたら造り」によって生み出された作品には、土味豊かな風味が醸し出され、作者の工夫と技の錬磨を感じさせる。
 これまで日本伝統工芸展に12回入選、その間昭和61年に日本工芸会正会員になるとともに県文化奨励賞受賞、平成9年には山陽新聞賞を受賞した。
 岡山県内や東京、京阪神などでの個展を多数開催するかたわら、平成11年から日本工芸会中国支部幹事、その翌年からは岡山県備前焼陶友会理事を務めるなど、備前焼をはじめ広く伝統工芸の普及、発展にも尽力している。

吉本正志(雅号 吉本正)  吉本正志(雅号 吉本正)


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