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平成22年度の国指定・登録文化財

平成23年3月答申 重要文化財(彫刻)の指定及び登録有形文化財(建造物)の登録

 平成23年3月18日(金曜日)開催の国の文化審議会(会長 西原鈴子)において、岡山県内所在の次の物件を重要文化財に指定及び登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申されました。
 重要文化財については、平成23年6月27日(月曜日)に指定され、登録文化財については、平成23年7月25日(月曜日)に登録されました。
 

重要文化財(彫刻) 木造千手観音立像


よみもくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう
員数1躯(く)
所在地瀬戸内市邑久町豊原
所有者宗教法人大賀島寺
高さ像高122.7cm
概要平安時代初期に造られた千手観音像である。
奈良時代の僧侶報恩(ほうおん)大師が開いたという伝承をもつ大賀島寺の本尊で、秘仏として伝えられてきた。
深く鋭い彫り口、眉が隆起し口を強く引き結んで厳しい表情を示す面貌(めんぼう)の表現、着衣の複雑で動きのある構成などに、9世紀前半頃の特徴を顕著にみせる。
平安時代初期彫像の優品として貴重である。

※大賀島寺・・・・奈良時代に報恩大師により創建されたと伝えられる、天台宗の古刹。
戦国時代には、宇喜多氏との関係も深く、宇喜多能家(よしいえ)(直家の祖父)もこの寺に葬られたと伝えられている。
※報恩大師・・・・奈良時代の僧侶。一説には、備前国津高郡波河(はが)(現在の岡山市北区芳賀)で生まれたとされ、備前に金山寺など48の寺々を造ったと伝えられている。

登録有形文化財(建造物) JR伯備線方谷駅駅舎


よみJRはくびせんほうこくえきえきしゃ
員数1棟
所在地高梁市中井町西方
所有者高梁市
建築年代昭和3年(1928)
概要昭和3年(1928)に全通した伯備線の駅舎で、駅名は当地出身の幕末の儒学者、山田方谷(やまだほうこく)に因む。
駅舎は南面して建ち、桁行17m梁間6.4m、木造平屋建、切妻造瓦葺で、南面東寄りに切妻造の車寄を設けて出入口とし、北面に庇(ひさし)をかける。
腰を洗出し、壁を下見板張とし、車寄は直線的で瀟洒(しょうしゃ)な意匠とする。
伯備線開通当時の駅舎のつくりをよく伝えている。

※JR伯備線・・・・倉敷-伯耆大山間139.6kmを結ぶ。
大正14年(1925)倉敷-宍粟(しさわ)(現、豪渓)、続いて宍粟-美袋間が開通、昭和3年(1928)に全線開通した。
JR伯備線方谷駅駅舎
JR伯備線方谷駅駅舎

登録有形文化財(建造物) 洞松寺本堂・開山堂及び位牌堂・禅堂及び接賓ほか


よみどうしょうじほんどう・かいざんどうおよびいはいどう・ぜんどうおよびせっぴんほか
員数9棟・1基
所在地小田郡矢掛町横谷
所有者宗教法人洞松寺
概要境内奥に建つ本堂の前庭を囲み、向かって右手に衆寮(しゅうりょう)、左手に僧堂を配置する、正統的な禅宗伽藍(がらん)を構える曹洞宗寺院である。
本堂は六間取方丈(ほうじょう)形式で、内陣と大間に折上天井を張るなど、堂の中心として意匠を凝らし、内陣後方には位牌堂を介して開山堂を配する。
本堂右手に接する方丈及び書院は座敷や茶室をもつ施設で、その手前に大型の庫裏(くり)を連ねる。
本堂左手には鐘楼(しょうろう)を建て、その手前の禅堂及び接賓は、本堂寄りに禅僧の宿所である接賓、前寄りを禅堂とする大型の堂で、庫裏と対峙して建つ。
また禅堂の北側には住職の住まいである書院月泉院(げっせいいん)が土塀に囲まれた一郭をなすほか、禅宗寺院の結界(けっかい)を象徴する水路や二ノ門なども含めて、江戸時代中期から順次整えられた伽藍全体がよく残り、禅宗寺院の厳粛な雰囲気を醸している。

※洞松寺・・・・猿掛城主庄氏の帰依を受けた喜山性讃(きさんしょうさん)が、応永19年(1412)に再興した曹洞宗の古刹。
※衆寮・・・・禅寺で、座禅をする僧堂に対し、僧が経や語録を読み、修行を深める自習用の建物。
※方丈・・・・禅宗寺院における住持の居室、または居室のある建造物。
※折上天井天井の一種で、天井桁や天井長押から支輪を立ち上げて張ったもの。
※庫裏・・・・寺の台所、転じて住職や家族の居間。
主な建造物の説明
洞松寺本堂本堂

元禄10年(1697)建築、天明5年(1785)・昭和54年改修
境内奥に北面して建ち、桁行19m梁間15m、入母屋造瓦葺、6室からなる方丈形式の本堂である。
内陣と大間に折上(おりあげ)天井を張り、両室境は太い円柱で二手先(ふたてさき)を受け、花頭枠を渡すなど、意匠を凝らしている。
洞松寺禅堂及び接賓禅堂及び接賓

天保9年(1838)建築
本堂東側に鐘楼を介して建ち、南北に長い平面をもつ。
桁行27m梁間10m、入母屋造瓦葺で、中央を露地で仕切り、北半を禅堂として内部に単(たん)を配し、南半は禅僧の宿所である接賓とする。
江戸時代末期における曹洞宗寺院の禅堂形式を伝えている。
洞松寺庫裏庫裏

宝暦2年(1752)建築、天保14年増築、平成9年改修
方丈北側に接続し、桁行28m梁間12m、北側屋根は入母屋造、南側屋根は切妻造の瓦葺で、北端の浴司(よくす)を落棟(おちむね)とする。
中央の広い土間正面に桟唐戸(さんからど)を開き、典座寮(てんぞりょう)等を配す。
地方禅宗寺院における庫裏の好例であり、相対して建つ禅堂とともに、禅宗寺院の伽藍構成をよくとどめる。

※単・・・・修行者が座る場所。
※浴司・・・・お風呂。
※落棟・・・・主屋の棟が高低2段になっている場合の、低い方の棟のこと。
※桟唐戸・・・・框(かまち 枠)の間に桟を縦横に組み、その間に、障子や板を入れた開き戸のこと。
※典座寮・・・・台所。

平成22年12月答申 登録有形文化財(建造物)

平成22年12月10日(金曜日)開催の国の文化審議会(会長 西原鈴子)において、岡山県内所在の次の物件を登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申され、平成23年1月26日に登録されました。
 

岡山県立岡山朝日高等学校(旧第六高等学校)柔道場、東書庫、西書庫、正門及び石積

よみおかやまけんりつおかやまあさひこうとうがっこう(きゅうだいろくこうとうがっこう)じゅうどうじょう、ひがししょこ、にししょこ、せいもんおよびいしづみ
員数3棟・1基
所在地岡山市中区古京町2丁目
所有者岡山県
概要旧制第六高等学校は、明治33年(1900)3月に官立高等学校として創立され、卒業生約1万2000人を送り出した後、昭和25年(1950)3月廃校となった。
校地は、岡山県立岡山朝日高等学校に引き継がれ、現在に至っている。
旧制第六高等学校の建造物の多くは、昭和20年6月の岡山空襲や戦後の校舎整備等によって姿を消したが、旧制第六高等学校の伝統を継承する現存建造物のほとんどが今回登録有形文化財に登録されることになった。
大正8年(1919)建築の木造の柔道場は和風の外観とするが、洋小屋を採用するなど、大正期の柔道場の好例である。
また校地北辺に並び建つ2棟の書庫は、東書庫が明治35年(1902)、西書庫が昭和5年(1930)と、建築時代が異なるが窓の配置など調和が図られている。校地の正面に石製の正門を構え、周囲は石積を廻らして伝統校にふさわしい風格を醸している。
柔道場の写真
柔道場
東書庫と西書庫の写真
東書庫(向かって右)・西書庫(同左)
正門
正門
石積
石積

平成22年7月答申 登録有形文化財(建造物)

平成22年7月16日(金曜日)開催の国の文化審議会(会長 西原鈴子)において、岡山県内所在の次の物件を登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申され、平成22年9月10日に登録されました。
 

旧中島病院本館

よみ きゅうなかしまびょういんほんかん
員数 1棟
所在地 津山市田町122番地
所有者 津山市
竣工年 大正6年(1917)
概要 旧中島病院本館は、大正6年(1917)に建てられた、津山でもっとも古い病院建築で、津山城跡西方の市街地に所在する。
この建物は、東京帝国大学医科大学を卒業後、地元の要望により帰郷した中島病院2代目の中島琢之を郷里に引き留めるため、妹尾銀行頭取妹尾順平が先頭となって建築させたものである。
木造2階建て、延べ床面積244平方メートル。
基礎は御影石、外壁は小豆色のモルタル掻き落としとし、人造石の柱や窓の枠飾りを配する。建物正面となる東側にポーチが張り出し、その屋根をドーム状につくる。ポーチの円柱にあるコリント式の柱頭飾りや窓の飾り枠などに、凝った洋風意匠が見られる建造物である。
平成14年、旧本館を解体し、病院を増築する計画が持ち上がったが、多くの市民による保存要望を受け、まちづくりに活用することを前提に解体中止となった。平成20年には所有者から津山市に建物が寄贈され、翌21年2月に改修工事に着手、同年8月から、「城西浪漫館」の愛称で、喫茶室、貸しギャラリー、中島病院の歴史を振り返る展示室として、一般に公開されている。
旧中島病院本館

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