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平成15年度指定岡山県重要文化財等の紹介

岡山県教育委員会は、 岡山県文化財保護審議会の答申に基づき、次の文化財を平成16年3月12日付けで指定しました。
番号種別名称員数所在地等所有者
彫刻木造阿弥陀如来坐像1躯和気町泉宗教法人安養寺
彫刻木造毘沙門天立像1躯和気町泉宗教法人安養寺
古文書洞松寺文書43通矢掛町横谷宗教法人洞松寺
建造物福武家住宅 主屋・長屋門2棟矢掛町横谷福武豊郎
石造美術石造無縫塔1基奈義町小坂奈義町小坂地区
天然記念物青木(あおぎ)のしいの木1株美作町青木個人
無形文化財手漉和紙(てすきわし) 倉敷市水江丹下哲夫(たんげてつお)
建造物(追加指定)成羽町立吹屋小学校校舎 西校舎・西廊下2棟成羽町吹屋成羽町


木造阿弥陀如来坐像
種別彫刻
員数1躯
所在地和気郡和気町泉609
所有者宗教法人安養寺
品質及び形状檜材、寄木造
寸法像高88センチメートル
製作の時代平安時代後期
説明本像は、安養寺の本堂宮殿(くうでん)内に安置される本尊仏の阿弥陀・釈迦・薬師三如来のうちの一体である。
彫眼、漆箔(しっぱく)仕上げ、身には偏袒右肩(へんたんうけん)に衲衣(のうえ)をまとい、定印(じょういん)を結ぶ。
像の大きさは中程度で、表面の金に後補があるほかは、明らかに後補と言える部分が少なく、保存は良好と言える。
作風は、面相・姿態・衣文(えもん)表現などいずれをみても全てに豊潤な優美さを保っており、いわゆる定朝様(じょうちょうよう)の特徴を踏襲する、平安時代後期にあたる11世紀末から12世紀初期ごろの典型的な作と考えられ、この種の阿弥陀像の中でも、県内の基準作となりうる貴重な作品である。

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木造阿弥陀如来坐像

木造毘沙門天立像
種別彫刻
員数1躯
所在地和気郡和気町泉609(県立博物館に寄託)
所有者宗教法人安養寺
品質及び形状檜材、寄木造
寸法像高159センチメートル
製作の時代鎌倉時代中期
説明本像は、木造阿弥陀如来坐像(岡山県指定重要文化財、昭和47年指定)とともに、安養寺阿弥陀堂内に安置されていたものである。
鎌倉時代の運慶(うんけい)一派が鎌倉再興の東大寺大仏殿四天王立像に適用した、いわゆる「大仏殿様四天王」の形姿に属し、おそらく中央一流の慶派(けいは)系仏所によって造立された、きわめて都会的に洗練された技法が用いられた作品である。
造立の時期は、鎌倉時代中期にあたる13世紀後期にさかのぼると判断される。
宝髻(ほうけい)や両手首、衣の一部などが後補材であるほか、面部に厚く補彩が施されているが、首から下の体躯(体幹)と彩色については当初の姿をよく残している。
なお、持物と台座は江戸時代の後補である。

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木造毘沙門天立像

洞松寺文書 (とうしょうじもんじょ)
種別古文書
員数43通
所在地小田郡矢掛町横谷3796(やかげ文化センターに寄託)
所有者宗教法人洞松寺
製作の時代文安5年(1448年)から慶長4年(1599年)
説明洞松寺は、山号を舟木山(ふなきさん)といい、猿掛(さるかけ)城主庄(しょう)氏の帰依を受けた喜山性讃(きさんしょうさん)が応永19年(1412年)に再興した曹洞宗の禅寺で、それ以後庄氏の菩提寺となった。
洞松寺文書の大半は、室町時代から戦国時代にかけての田地の売券(ばいけん)・寄進状及び寺領関係文書である。
その差出者は、備中猿掛城主庄氏の一族もしくはその被官(ひかん)の武士らで、中世後期における備中南部を拠点とした地方武士のあり方や経済活動の一端をうかがわせている。
主な文書としては、庄元資(もとすけ)が父の駿河守の菩提を弔うための寺領寄進状(康正(こうしょう)2年=1456年)や、庄資長(すけなが)による田地売券(応仁2年=1468年)、成羽の星原兵衛の田地寄進状(応仁3年)などがある。
庄氏の一族は、関東から移住した御家人で、鎌倉時代に備中に入部し、室町時代に細川氏が備中守護となった時期に守護代を務めた。

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洞松寺文書

福武家住宅主屋・長屋門
種別建造物
員数2棟
所在地小田郡矢掛町横谷1809
所有者福武豊郎
建築年代江戸時代末期
説明福武家は戦国時代から続く家柄で、天保7年(1836年)に庭瀬藩板倉家領の大庄屋となった。
現在残る福武家住宅は大庄屋時代の建物を中心に、以後明治時代にかけて建設されてきたものが主要部分をなしている。約4,700平方メートルの屋敷地は土塀で囲まれ、敷地とその中の建物群全体が江戸時代の当地域の大庄屋の面影をよく残している。
主屋は、つし二階建て、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で、正面中央に式台玄関をもつ大規模な建物である。
間取は表側に五室を整然と並べ、裏側には居住用の諸室を適宜配する構成であるが、北端の座敷の裏側に上段と間口二間の床の間を備えた御成部屋が作られている。
また意匠的な面では中ノ間、次ノ間、座敷と進むに従って数寄屋(すきや)風意匠が強められていて、念入りな仕事がなされている。
長屋門も規模の大きなもので、二階建て、入母屋造、本瓦葺で、側面背面に下屋がつく。
一階は通路の両側に二室ずつ計四部屋、二階は物置である主屋、長屋門はその格式の高さから、大庄屋になった天保7年頃に現状の形になったものと考えられる。

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福武家住宅主屋
福武家住宅主屋
福武家住宅長屋
福武家住宅長屋

石造無縫塔 (むほうとう)
種別石造美術
員数1基
所在地勝田郡奈義町小坂518-1
所有者奈義町小坂地区
材質及び形状花崗岩、重制(じゅうせい)無縫塔
寸法総高118cm、塔身の直径33cm
製作の時代南北朝時代から室町時代初期
説明この無縫塔は、直径33cmの卵形の塔身を頂き、請花(うけばな)には蓮華座の浮彫、八角塔の竿の1面には蓮華の浮彫が施されている。
基礎部分の格狭間(こうざま)の彫刻は、鎌倉時代末期から室町時代初期の様式を示しており、ほぼ欠損のない姿をとどめている。
無縫塔の中でも形式上重制無縫塔に分類され、県内の他の重制無縫塔の例と比べて、形式は酷似しており、この無縫塔の製作年代も南北朝時代から室町時代初期ごろと推定される。
この無縫塔のある場所は、『東作誌(とうさくし)』に「幸福寺跡」と記載されており、現在は、小規模な阿弥陀堂と銀杏の古木に加えて、南北朝時代の造立と推測される宝篋印塔などの石造物群が寺跡を偲ばせている重制無縫塔は、県内で本品を含め4基確認されているのみであり、大変貴重な石造物である。

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石造無縫塔

青木のしいの木 (あおぎのしいのき)
種別天然記念物
員数1株
所在地英田郡美作町青木125
所有者個人
品種及び樹齢ブナ科シイノキ(ツブラシイ)約700年(推定)
大きさ目通り周囲約8.6m、樹高約16m
説明この「しいの木」(ツブラシイ)は、古来より親しまれ、県内外に広く知られている樹木である。樹齢700年を経ていると推測されるが、樹勢は旺盛で、数本の分枝は枯損、折損も少なく、四方に拡がって低所からもその威容がよく遠望され、見るものに畏敬の念を抱かせるほどの堂々とした姿である。
また、根が2mあまり地表に出ているため、「根上がりしい」とも呼ばれる。
根と根の間の空洞(ほら)には、所有者である下山家の屋敷神の小祠が祀られており、町内の有志による保存会は地域の文化財として保護の取り組みを進めている。
県下でも最大級のしいの木であり、周辺環境や景観にも大きく寄与している樹木である。

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青木のしいの木

手漉和紙 (てすきわし)
種別無形文化財
保持者の氏名丹下哲夫(たんげてつお)
説明岡山県下の手漉和紙については、古文書等により、中世以来、連綿と続いてきた特色ある伝統的工芸技術の一つであることが知られている。
長い伝統に裏付けられたこの技術・技法を今後も継承、発展させていくことが望まれる。丹下哲夫氏は、昭和21年、川上郡備中町平川清川内(せいごうち)で、家業の手漉和紙製作を継承するが、昭和39年新成羽川ダム建設に伴い、倉敷市へ移住し、苦心しながら和紙製作を続け、今日まで50年余り手漉一筋に取り組んできた。
手漉和紙衰退という時代の趨勢の中で、たゆまぬ研究と工夫を重ね、高度な技術を磨くことに専念してきたが、一方、備中和紙の製作過程の技術的解明に取り組み、著書『手漉和紙の出来るまで』(昭和53年)を自費出版し、その労作は斯界から高く評価された。
さらに昭和53年から55年、東大寺昭和大修理の際に使用した東大寺昭和大納経用料紙を納入し、備中和紙の伝統と技の高さを広く全国に知らしめた功績はきわめて大きい。
また、丹下氏の製作した、かな書道用紙は、同じ墨を使用しても、滑りや発色がよく、かなの線が美しく出るとの高い評価があり、県内外の書家や画家にとっても貴重な料紙となっている。

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手漉和紙

成羽町立吹屋小学校校舎西校舎・西廊下
種別建造物
員数2棟
所在地川上郡成羽町吹屋1290-1
所有者成羽町
構造及び形式西校舎木造建築面積162.5平方m、一階建、桟瓦葺西廊下木造建築面積57.1平方m、一階建、桟瓦葺
建築年代西校舎・西廊下ともに明治33年(1900年)
説明西校舎・西廊下は、東校舎とともに明治33年(1900年)に建てられ、明治42年に建設された本館を中心として左右対称の構成をなしている。
東校舎はそのまま教室として使用されてきたが、西校舎は昭和24年に公民館となり、その後昭和33年からは体育館として使用されてきている。
従って、内部はかなり改造を受けているが、骨組みはよく当初のものが残っている。
また、平成14年度に行われた修理工事では、文化財的価値を考慮して、極力従来の材料を再用して行われている。
内装はこれからも体育館として使用されるので、新しいものとならざるを得なかったが、外観は吹屋公民館当時のもので、それ以前の校舎の面影も十分に残している。
現代的に使用しつつ文化財としての保存策がとられた事例としても評価すべきである。

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成羽町立吹屋小学校校舎 西校舎・西廊下

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