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沿革

成徳学校の沿革


年月日内容
明治21年 8月15日千輪性海・和田大円らが岡山市小原町(現在、清輝橋1丁目)光清寺内に私立岡山感化院(院長・千輪性海、全国で4番目に開設)を設立する。
明治31年 7月 1日かつて初代岡山市長であった花房端連が岡山市瓦町に社団法人備作恵済会岡山感化院を設立し、光清寺内の岡山感化院を併合する。
明治33年 3月10日感化法公布される。
明治42年 4月 1日感化法改正により、岡山県代用感化院に指定され、御津郡石井村(現在、岡山市三門)に新築着工する。
明治42年11月28日新築落成移転し、備作恵済会三門学園と改称する。
昭和 3年 4月 1日岡山県に移管、岡山県立三門学園と改称する。
(第5代院長 菅 済治……昭20.10.5退職)
昭和 9年10月10日少年教護法が施行されたため、岡山県成徳学校と改称する。
昭和12年 6月15日岡山市平井2572番地、米山に全校移転する。
(12、667坪の国有林払い下げを受け、本館・講堂・家庭舎6棟その他附属建物を新築)
昭和21年12月15日岡山保護児童収容所を併設し、戦災孤児・浮浪児を多数収容。「少年の丘」と愛称されるようになる。
昭和22年12月10日天皇陛下行幸され、戦災孤児を激励される。
昭和23年 1月 1日児童福祉法が施行され、児童福祉法による教護院となる。
昭和23年 4月 1日岡山保護児童収容所を合併。そのため、300名余を擁する教護院となる。
昭和26年11月 1日三笠宮が御視察される。
昭和28年 8月13日高松宮が御視察される。
昭和32年 4月 1日県立操南学園(養護施設)を併設する。
昭和37年 8月15日操南学園を岡山県立玉島学園と改称し、倉敷市玉島へ移転する。
昭和39年 4月 1日岡山県立成徳学校と改称する。
昭和49年 6月19日新寮舎が完成し、いちょう寮・かえで寮・さくら寮・うめ寮・つばき寮と命名し、転寮を行う。
昭和50年 6月16日訓練棟が完成する。
昭和51年 7月10日本館(鉄筋3階建)、調理棟が完成する。
昭和53年 6月15日プールが完成する。
昭和54年 3月30日体育館が完成する。
昭和54年 5月 9日創立90周年記念式典を行う。
昭和55年 3月20日いこいの庭が完成する。
昭和56年12月14日済美会館を解体、跡地を庭園とする。
昭和57年 3月31日あくら寮及び校長舎が完成する。
昭和57年 5月 5日校歌を制定し、発表会を行う。
昭和62年12月27日備前焼「希望窯」が完成する。
平成元年 1月12日創立百周年記念事業として、児童更生指導室(武道場)が完成する。
平成元年 3月 1日創立百周年記念式典及び、記念碑除幕式を行う。
平成元年 8月31日創立百周年記念事業として「あずま屋」が完成する。
平成 5年 1月11日備前焼「希望窯」を改築する。
平成 5年 6月25日米山会館が新築完成する。(特別指導寮・さざんか寮、ふれあいホール、小教室)
平成 5年 6月30日講堂を解体し、跡地に記念碑を建立する。
平成 5年10月23日旭ライオンズクラブより旭亭の寄贈を受ける。
平成 6年 8月25日第45回全日本少年野球大会優勝。
平成 7年 3月31日「めぐみの池」より本館への道路を拡幅する。
平成 7年 8月24日第46回全日本少年野球大会優勝。
平成 8年 3月31日出会いの広場が完成する。
平成10年 4月 1日児童福祉法改正。名称が教護院から児童自立支援施設となる。
平成11年 2月12日110周年記念式典を行なう。
平成13年 8月23日第52回全日本少年野球大会優勝。
平成16年 3月 3日運動場防球ネットを増設する。
平成16年 8月19日第55回全日本少年野球大会準優勝。
平成17年 4月 1日給食調理を業務委託する。
平成20年 8月21日第59回全日本少年野球大会準優勝。
平成21年 2月 6日120周年記念式典
平成21年 4月 1日施設内に岡山市立緑ヶ丘中学校、および岡山市立平井小学校分教室を設置。
平成23~24年現在地にて寮舎の全面改築を行う
平成25年 8月 日第64回 全日本少年野球大会 4度目の優勝