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平成19年度指定岡山県重要文化財等の紹介

岡山県教育委員会は、岡山県文化財保護審議会の答申に基づき、平成20年3月7日付で岡山県指定重要文化財を新たに2件指定し、岡山県指定重要無形文化財を1件指定しました。



番号 種別 名称 数量 所有者 所在地
重要文化財

建造物
秀天橋(しゅうてんばし) 1基 玉野市 玉野市槌ヶ原
重要文化財

建造物
児島湾開墾第一区の樋門群(こじまわんかいこんだいいっくのひもんぐん) 3基 高崎土地改良区
岡山県
岡山市灘崎町西高崎・西紅陽台
重要無形民俗文化財
太鼓田植(たいこたうえ) - 哲西はやし田植え保存会 新見市哲西町矢田
神代郷土民謡保存会 新見市神郷下神代



【1】 秀天橋

種別 重要文化財 建造物 秀天橋
員数 1基
所在地 玉野市槌ヶ原
所有者 玉野市 (玉野市宇野1丁目27番1号)
構造形式
及び規模
石造桁橋、全長36m、幅約3m
製作年代 19世紀初めごろ
説明  秀天橋は、玉野市の北西部を南から北へ流れ、児島湖に注ぐ鴨川に架けられている。架橋当時の江戸時代には、この場所は河口に程近く、渡船場があったともいわれている。
 花崗岩を利用した石桁橋で、全長36m、幅約3m。橋脚は1カ所3本ずつ、8カ所の計24本あり、その橋脚間に、長さ約4m、幅約50cm、厚さ約30cmの板石6本を1セットとし、9セット計54枚を並べて桁としている。
 この石橋の架橋の経緯について詳細は不明であるが、文化10年(1813)ごろ記されたと考えられる『手鑑 児島郡』の用吉村の項に「橋三つ〈二つ土 一つ石〉 用吉・槌ヶ原両村構」とあり、19世紀初頭には架けられていたと考えられる。同地近辺の滝村の商人が架けたとする説、槌ヶ原村在住の大庄屋が架けたとする説などがある。
 左岸側第一橋脚の上部のほぞ穴が合致せず、当該区間の石桁に再建の跡があることから、時期は不明であるが、左岸側の一連が災害等により崩壊、再建されたことは確実と見られる。また、昭和56年には、床版上部がコンクリート舗装され、擬木高欄により修景されたという経緯もある。
 しかしながら、本橋は、江戸時代の岡山藩領内における最長の石橋と評価されるだけでなく、全国的にも最大級の石桁橋の一つであり、当時の土木技術を明らかにする上で貴重な土木遺産と考えられる。



【2】 児島湾開墾第一区の樋門群

種別 重要文化財 建造物
員数 3基
所在地 岡山市灘崎町西高崎、岡山市灘崎町西紅陽台
所有者 高崎土地改良区(岡山市灘崎町西高崎45番地)
岡山県(岡山市内山下2丁目4番6号)
構造形式
及び規模
石・煉瓦造樋門・単アーチ(1連)・付袖壁
片崎樋門 通水部幅1.8m 通水部奥行3.5m
常川樋門 通水部幅2.8m 通水部奥行3.9m
宮川樋門 通水部幅1.8m 通水部奥行3.6m
製作年代 明治33年(1900)ごろ
説明  明治維新後、士族授産対策として計画された児島湾の干拓事業は、岡山県令の高崎五六の具申を受けた内務省が、オランダ人技師ムルデル(1848から1901)に諮問し、明治14年(1881)7月に提出された復命書によって、基本計画が策定された。しかし、この計画は実現に至らず、実際に開発を請け負ったのは、大阪の政商藤田組の藤田傳三郎(1841から1912)であった(ムルデルの当初計画とは、ほぼ無関係)。しかし、地元の激しい反対で着手が遅れ、明治32年になってようやく干拓事業が開始され、第一区工事466haが竣工したのは明治38年になってからであった。
 この第一区事業の中で築造され、現在まで残されているのが、片崎樋門、宮川樋門、常川樋門とそれに連なる第一区第二号干拓堤防である。藤田組顧問技師であった笠井愛次郎(※)が設計したこれらの樋門は、通水部に煉瓦アーチを採用し、定型的に加工された小型の石材を使用するなど西洋技術を導入しつつも、笠井愛次郎が同時期に埼玉県で施工した水門と比べ、岡山県特産の花崗岩をふんだんに使用するなど、地域性のある構造物として、非常に特徴的である。また、切石積みに傘を載せた灯籠風の樋柱を持ち、「近代和風」意匠が採用されるなど、近世以来の岡山藩の石桁樋門とは全く異なる構造となっている。こうした構造の樋門は、明治期のこの地区に限定されており、大正期から昭和戦前期にかけては、また近世風の構造に戻ってしまう。
 第七区の干拓により、現在いずれも樋門としての機能は停止されているが、岡山県の近代化を象徴する児島湾干拓事業最初期の遺構として非常に高く評価される。

※笠井愛次郎・・・・1857から1935。岐阜県生まれ。工部大学校土木学科卒。すぐに岡山県嘱託となり、児島湾開墾事業にかかわる。1886年、海軍省技師として佐世保・呉鎮守府創設工事に従事、翌年以後、民間の鉄道会社に勤務し、九州での鉄道工事や韓国の京釜鉄道敷設にかかわり、鉄道事業に貢献した。
片崎樋門 常川樋門 宮川樋門
片崎樋門 常川樋門 宮川樋門



【3】 太鼓田植

種別 重要無形民俗文化財 <B><FONT size="+1">太鼓田植</FONT></B>
保持団体 哲西はやし田植え保存会
 所在地:新見市哲西町矢田
 代表者:佐々木豊

神代郷土民謡保存会
 所在地:新見市神郷下神代
 代表者:冨谷正一
説明  太鼓田植は、はやし田植とも呼ばれ、備中北部においては、江戸時代中期に田の神を祭る行事として始まったと伝えられている。大山信仰に関連して出雲・伯耆・備後北部などにも伝わる田植神事(大山供養田植など)などとかかわることも推察されるが、当地の太鼓田植の起源や開始時期は、文献史料からは裏付けることのできない民俗である。
 明治あるいは大正期ごろから昭和30年代まで、当地方で盛んに行われていたが、戦後には農業や生活の近代化等によって徐々に衰退し、同30年代末期に一時途絶えたが、昭和50年前後に地元で2つの保存会が結成されて復活し、今日までその伝承が図られてきた。
 男性が打つ太鼓に合わせて田植歌が歌われ、「さげ」と呼ばれる男性の上の句の歌唱をうけて、「植え子」と称される早乙女が下の句を歌い次ぎながら苗を植えていく伝統的な田植え儀礼である。田の神を称え、五穀豊穣を願う共同作業の慣習として伝承されてきた貴重な民俗芸能といえる。
 両保存会とも30名前後の会員がおり、地元小学生を対象とした指導をはじめ、保存会での稽古を定期的に行い、後世への伝承に努めている。例年5月初旬に開催される「鯉が窪湿原まつり」への参加など地元での定例行事に加え、7月初旬には岡山後楽園での「お田植え祭り」に出演し、この季節を彩る祝祭の風物詩としても定着している。





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