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平成25年度の国指定文化財等

平成25年6月19日 重要文化財(絵画)の指定

重要文化財(絵画)の指定 紙本墨画老子像 牧谿筆

よみしほんぼくがろうしぞうもっけい
員数1幅
所在地岡山市北区天神町
所有者

岡山県立美術館

時代中国・南宋時代(13世紀)
説明 水墨で半身の老子の姿を描く。画面左上部に「牧谿」、同下部に「道有(どうゆう)」の印が捺され、古来牧谿筆の東山御物(ひがしやまごもつ)として珍重されてきた。形式は禅宗における半身の祖師像にならっている。足利義満、徳川家康、紀州徳川家という伝来をたどることができる作品である。

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(岡山県立美術館提供)

< 参 考 >
  老子 : 中国古代の思想家で、道家の祖とされる人物。
  牧谿  :  蜀(四川省)の人で、中国南宋時代の高僧無準師範の弟子。浙江地方で生涯の大半を過ごし、当地の文人らとも交わったとされる。禅僧の余技の域を超えた高い画技は当時から知られており、室町時代以降の我が国の水墨画に与えた影響は多大で、宋元画人中最高の評価を得ている。
  道有 : 室町幕府第3代将軍足利義満の号。
  東山御物 : 室町幕府第8代将軍足利義政が所持していた茶道具の名品。
 祖師像  : 仏教の宗派の開祖や開山、或いはその法系の高僧を絵画、彫刻で表した肖像。

平成25年8月7日 重要文化財(建造物)の指定等

重要文化財(建造物)の指定 本源寺本堂、庫裏、霊屋、霊屋表門、中門  附 棟札 1枚(本堂附)

よみほんげんじ ほんどう、くり、たまや、たまやおもてもん、ちゅうもん
員数5棟
所在地津山市小田中
所有者

宗教法人 本源寺

建築の時代慶長12年(1607年)から江戸時代前期
概要 本源寺は、津山市街西部に位置する、臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺(みょうしんじ)派の寺院で、津山藩主森家の菩提寺である。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂の北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配する。
 本堂は慶長12年(1607年)に上棟され、桁行(けたゆき)25.3m、梁間(はりま)18.9mの方丈(ほうじょう)型本堂で、屋根は入母屋(いりもや)造、桟瓦葺とする。現在花頭窓(かとうまど)が設けられている正面などは改変されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよくとどめている。
 庫裏(くり)は延宝(1673年~1680年)ごろの建築とみられ、桁行20.0m、梁間12.0m、一部二階、屋根は切妻(きりづま)造、桟瓦葺で、南面妻入(つまいり)とし、出入口に庇(ひさし)を付す。南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変が加えられているが、柱や梁組などの主要構造や平面の構成は、建築当初の状態をよく残す。
 霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形(ほうぎょう)造、銅板葺である。正面に唐破風(からはふ)屋根の向拝(ごはい)を付け、柱頭部に金襴(きんらん)巻状の地紋彫(じもんぼり)、頭貫(かしらぬき)に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木(たるき)は精緻な彫刻で飾る。
 霊屋表門は、霊屋と同じ時期の建築とみられ、間口2.7mの四脚平唐門(ひらからもん)で、屋根は銅板葺とする。霊屋同様に頭貫の地紋彫、蟇股(かえるまた)彫刻や冠木(かぶき)先の八双(はっそう)形彫刻など精緻な細工を施す。また、中門は江戸時代初期の建築とみられ、間口4.0m、切妻造、桟瓦葺の薬医(やくい)門である。
 本源寺は、慶長期にさかのぼる方丈型の本堂を中心として、庫裏、中門や、森家代々当主を祀る霊屋など、桃山時代から江戸時代前期までに整備された建造物が一体で残されており、地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
本堂
本堂
庫裏
庫裏
霊屋
霊屋
霊屋表門
霊屋表門

中門

中門

重要伝統的建造物群保存地区の選定 津山市城東伝統的建造物群保存地区

よみつやましじょうとうでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
所在地津山市橋本町、林田町、勝間田町、中之町、西新町、東新町の各一部
選定面積約8.1ヘクタール(東西約1,050m、南北約480m)
概要 津山市は、岡山県の北東部に位置する。慶長8年(1603年)に美作(みまさか)国に封ぜられた森忠政が津山城を築き、城下町を整備した。城の周囲に武家地、城下町の南半部を東西に通る出雲往来に沿って町人地が形成された。城の東を流れる宮川の東側にも城下町が形成され、出雲往来に沿った町人地が保存地区に当たる。地区の東部には、国指定史跡箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧宅がある。
保存地区は、東西約1,050メートル、南北約480メートル、面積約8.1ヘクタールである。地区内を通る出雲往来には、道路が折れ曲がる枡形(ますがた)が2カ所あり、東西端と中程に関貫(木戸)が設けられた。屋敷地は、往来に沿って間口2間から4間程度の幅で割り付けられ、大規模なものでは10間を越えるものもある。奥行きは17間程度で規格的に割り付けられ、敷地背面には背割溝(せわりみぞ)が通され、現在もこの溝が残っている。
 各敷地では、往来に面して主屋が建てられ、その背後に附属屋や土蔵が建つ。江戸時代から明治に建築された2階部分が低いつし二階建ての主屋が数多く残り、一階の屋根には本瓦を使用しており、低く重厚な軒が連なる特徴ある町並みを形成している。主屋の一階、二階ともに、窓にさまざまな意匠の出格子(でごうし)が使用される。二階では、虫籠窓(むしこまど)もみられ、腰になまこ壁を使用するものや、意匠を凝らした袖壁をもつものが多い。角地では、屋根を入母屋造としたり、往来に直交する小路に面する壁面にもさまざまな意匠を凝らしており、小路の景観も特徴的である。
 津山市城東伝統的建造物群保存地区は、城下町の商家町として発展した町並みで、江戸時代に形成された町割をよく残す。江戸時代の町家を主体として昭和戦前期までに建築された、出格子窓、虫籠窓、なまこ壁、袖壁などを使用し、意匠的に優れた伝統的建造物が密度高く建ち並び、城下町に形成された商家町の歴史的風致をよく伝え、我が国にとって価値が高い。
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旧梶村家住宅      苅田家住宅及び酒造場

             旧梶村家住宅                                   苅田家住宅及び酒造場


重要文化財(建造物)の指定の解除 金山寺本堂  1棟

よみきんざんじほんどう
員数1棟
所在地岡山市北区金山寺
所有者宗教法人金山寺
竣工年天正年間(1573年~1591年)
指定年月日大正12年3月28日
概要

 金山寺本堂は、桁行5間、梁間6間、入母屋造、本瓦葺で、細部の彫刻や内部の彩色に、桃山時代の特徴を示す寺院建築として貴重であった。平成24年12月24日に発生した火災により本堂は全焼し、重要文化財としての価値を失ったと判断されるため、その指定を解除するものである。

平成26年2月24日登録 登録有形民俗文化財の登録

登録有形民俗文化財 北木島の石工用具

名称北木島の石工用具
員数199点
所在地笠岡市北木島町 北木石記念室(笠岡市立北木中学校内)
所有者笠岡市
概要

1 北木石について
 北木島に産出する花崗岩で、石質が硬く吸水率が低いため経年変化しにくく、また光沢があり加工も容易という特長がある。明治期以降、日本銀行本店本館(明治29年・重要文化財)、三越本店(大正3年)、靖国神社大鳥居(昭和8年)など多くの建造物に使用された。
2 北木島の採石史
 北木島における採石の始まりは明らかでないが、明治中期頃からは本格的な採掘が行われるようになった。戦後になるとさらに発展し、削岩機が導入されて機械化が進行した。昭和32年の丁場数は過去最多の127か所にのぼり、石材加工工場も稼働を始めた。昭和40年には窄孔機が導入され、効率的な採石が可能になった。
 しかし、その後は各種規制の強化に加え、安価な外国(中国等)産石材が大量に輸入されるようになり、丁場数が減少していった。一方、石材加工工場は現在でも多数操業している。
3 登録対象用具の概要
 市立北木中学校内の「北木石記念室」(平成8年11月開館)に保存・展示されている199点の用具である。島内石材業関係者の協力を得て収集されたもので、使用年代は明治から昭和後期までである。

分類

用具名

機 能

採石用具

丁場造成用具

鍬・ツルハシ・ドサッポクズシ 等

表土・中間層の除去

矢割り用具

煙硝ノミ・削岩機・窄孔機・各種矢・丸ノミ・ゲンノウ 等

岩の切り離し、分割

運搬用具

又車・二つ車・コロ 等

丁場から波止場への運搬

加工用具

ノミ・コヤスケ・押し切り・ビシャン・タタキ 等

切断・整形・穴あけ・研磨・字彫り等

鍛冶用具

フイゴ・金床・ヒバシ・焼き筒・セットウ 等

採石・加工用具の焼き入れ・整形

写真

       石工用具           

             石工用具(写真笠岡市教育委員会提供)                                          


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