古代のモモ

■鬼神・邪気をはらう桃、薬用の桃

 古代中国では、桃の木は鬼神〈きしん〉や邪気〈じゃき〉をはらう力を持ち、桃の実は不老不死や長寿をもたらす食べ物、と考えられていました。
 日本でも、いつからか桃の特別な力が信じられ、奈良時代の『古事記〈こじき〉』には、伊耶那岐命〈いざなきのみこと〉が伊耶那美命〈いさなみのみこと〉の追手を撃退するために三つ の桃の実を投げたという話が、平安時代の『今昔〈こんじゃく〉物語集』には鬼の侵入を防ぐために桃の木を使う話が載っています。
 また、平安時代には、桃仁〈とうにん〉(種子)が薬として用いられていたこ とが、『延喜式〈えんぎしき〉』の記述から分かります。桃の大きさなどから、当時は食用よりも薬用が一般的とする考えもあります。

■遺跡から出土する桃

 果肉は腐りやすいのですが、桃核〈とうかく〉(桃仁を保護する内果皮〈ないかひ〉)は、とても硬いので残りやすく、各地の遺跡から出土しています。
 日本最古の桃核は、長崎県伊木力〈いきりき〉遺跡の縄文時代前期(約6,000年前)のもの、岡山県内では、津島岡大〈つしまおかだい〉遺跡の縄文時代後期(約3,500年前)が最古です。その後、弥生時代以降になると、多くの遺跡から出土します。これらの長さは現在の桃より短く、多くが2〜3pであることから、果実も現在よりも小さかったと考えられます。

写真1 モモの断面イラスト 写真2 桃核の写真
モモの断面イラスト 出土した桃核

■遺構と桃

 桃核が出土する遺構は、溝や河道〈かどう〉、井戸が多数を占めます。それらは桃核の保存に適していたほか、水に関係するまつりに桃が使われたとする説もあります。「水のまつり説」はともかく、日常生活や何らかのまつりで、桃が利用されたことは、容易に想像できます。

■弥生〜古墳時代の大量の桃

 一つの遺構から出土する桃核は、数個〜数十個程度のことが多いようですが、まれに数百、数千を数える例があります。県内の弥生時代の遺跡では、百間川今谷〈ひゃっけんがわいまだに〉遺跡の溝、津島〈つしま〉遺跡の河道、上東〈じょうとう〉遺跡の河道の例がそれです。これらで注目されるのは、桃核といっしょに見つかる豊富な遺物の中に、まつりや儀式を想像させる特徴的な土器や木製品〈もくせいひん〉、骨角器〈こっかくき〉などが含まれる点です。そこに多くの人びとが集まり、これらを使った何らかのまつりが行われたと推測することもできます。
 しかし、まつりの具体的な内容・目的などは明らかではなく、また、桃がそうしたまつりの中で果たした役割など、考えなければな らないことがたくさんあります。

ト骨 刻骨 文様が描かれた土器
占いに使用された骨
(上東遺跡)
刻み目がある骨
(津島遺跡)
文様が描かれた土器
(上東遺跡)


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