「震災遺構」を訪ねて                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 もし今、私が何の予備知識もないまま津波被災地に足を踏み入れたとしたら、どんな第一印象を抱くでしょうか。街を埋め尽くした瓦礫はすでに撤去され、眼前に広がるのは雑草の生い茂る更地と、行きかう重機やトラックだけです。家屋の基礎などは残っていますが、遠目には「開発工事が始まった埋め立て地」と錯覚するかもしれません。時間の経過と復旧工事の進行は、津波が街と大地に刻み付けたさまざまな痕跡を、徐々に消し去りつつあるようです。
 そんな荒涼とした景色の中で、取り残されたようにぽつんと立つ、鉄筋コンクリートの建物が目にとまります。津波によって傷つきながらも、辛うじてその形をとどめている「震災遺構」です。


 東日本大震災後、この「震災遺構」という単語を、報道でしばしば見聞きするようになりました。元来は考古学用語であった「遺構」という単語が、他の分野でこれほど多用されるのは異例ではないでしょうか。
 震災遺構とは、津波によって損傷・倒壊した建物や、陸上に打ち上げられた船など、震災の猛威をまざまざと伝える各種の構造物を指します。私は宮城県への赴任以来、機会を見つけては被災地を訪れ、さまざまな震災遺構を現地で見てきました。
 気仙沼市の市街地跡で、今にも動き出しそうな姿のまま、異様な存在感を放っていた第十八共徳丸。当時の町長以下、40名もの職員が犠牲となり、保存をめぐって意見が分かれる大槌町役場。津波によって浮き上がり、そのまま横転した無残な姿をさらす江島共済会館。4階まで窓ガラスがなくなり、津波の水位を如実に示す陸前高田市の雇用促進住宅。どの遺構も圧倒的な迫力で、津波の恐るべき破壊力を、私たちに強く訴えかけているようでした。その訴えは視覚だけではなく、むしろ皮膚感覚に直接伝わるものがあったようにも思います。

第十八共徳丸(宮城県気仙沼市、撤去済み)
第十八共徳丸
(宮城県気仙沼市、撤去済み)
大槌町役場(岩手県大槌町、一部保存予定)
大槌町役場
(岩手県大槌町、一部保存予定)
江島共済会館(宮城県女川町、撤去予定)
江島共済会館
(宮城県女川町、撤去予定)
雇用促進住宅(岩手県陸前高田市、保存予定)
雇用促進住宅
(岩手県陸前高田市、保存予定)

 さらに、津波が影響をおよぼした対象は人工物に限りません。よく知られている海岸林の消失以外にも、津波による土壌の撹拌や、塩分を含んだ湿地の形成によって、それまでになかった植物が生えてくる事例が各地で報告されています。こうした植物も、津波の自然環境への影響を示すものとして、広い意味での震災遺構と呼んでも差し支えないでしょう。こうした植物の中には、環境省や各県のレッドデータブックに掲載される希少種も多く、その保全や記録が求められています。


震災後、忽然と現れたコウキヤガラ(福島県南相馬市)
震災後、忽然と現れたコウキヤガラ
(福島県南相馬市)
被災地の水たまりに咲くミズアオイ(岩手県大槌町)
被災地の水たまりに咲くミズアオイ
(岩手県大槌町)


 瓦礫の撤去が終わった今、仮にこれらの震災遺構が全くなかったら、現地に立った時に津波の惨禍をありありと想像できるでしょうか。少なくとも、私には難しいと思いました。今回の震災では、市民が撮影した画像や動画も数多く保存されていますが、現地に残る震災遺構は、想像を絶する津波の破壊力を肌で感じさせる実物資料といえます。今後の防災教育や、災害の記憶を語り継ぐための拠点として、あるいは地域の歴史資料、慰霊の場として、その保存を求める声が上がっています。

 昨年11月、復興庁は各市町村につき1件の震災遺構に対し、保存のための初期費用を復興交付金から拠出すると発表しました。これを受けて、すでに岩手県宮古市の「たろう観光ホテル」や、宮城県山元町の町立中浜小学校が交付の対象になっています。

たろう観光ホテル(岩手県宮古市)
たろう観光ホテル
(岩手県宮古市)
町立中浜小学校(宮城県山元町)
町立中浜小学校
(宮城県山元町)

 震災遺構の保存に向けた動きに対しては、反対意見も根強くあります。「震災の記憶がよみがえって辛い」という住民感情や、再開発事業への影響、維持管理費の問題など、こちらも納得できる理由です。実際、第十八共徳丸のように、こうした声を受けて解体に至った物件も少なくありません。遺構の保存と、人々の心理面も含めた復興との両立は、本当に難しい課題です。私自身、両方の意見を耳にしてきましたし、現在残る震災遺構をすべて保存するというのも、確かに非現実的な話かもしれません。結論がどちらになろうと、冷静かつ率直な議論を尽くした上で、地域の将来に悔いの残らない選択がなされることを願っています。

 震災の痕跡も、私たちの記憶も、何らかの手立てを講じなければ、時間とともに確実に薄れてゆきます。特に、震災を直接経験していない地域の人々、そして未来の世代に対して、震災の記憶を確実に受け継ぐことができるかどうか。それは、新たな自然災害の襲来時に、多くの人命を救えるかどうかの分かれ目ともなります。震災遺構にせよ、映像や証言といった資料にせよ、効果的な保存・活用・継承はどうあるべきなのか。「震災の時代」を生きる私たちに課された重い問いかけに、どのように答えていけばいいのでしょうか。

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