「石」が伝えるメッセージ                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 今年の3月22日、ある「石」との出会いを求め、私は岩手県の重茂(おもえ)半島へと車を走らせました。何とも運の悪いことに、東北地方は2日前に異例の大雪に見舞われたばかりで、道路の両脇は雪で埋まり、車の行き違いも困難なほどでした。大まかな位置を入力したカーナビだけを便りに、対向車が来ないことを願いながら、重茂の細道のなんと長く感じられたことか。 
 街を出発してから1時間ほど。とある小さな集落を抜け、しばらく海側に進んだところで、その「石」は静かにたたずんでいました。


 「高き住居(すまい)は児孫(じそん)の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処(ここ)より下に家を建てるな」   
 東日本大震災の後、にわかに脚光を浴びることとなった「石碑」の教え。私が目指したこの石碑こそ、岩手県宮古市の姉吉(あねよし)地区に建つ「大津浪記念碑」です。典型的なリアス式海岸に立地する漁村の姉吉地区は、明治29年(1896年)の明治三陸大津波と、昭和8年(1933年)の昭和三陸大津波で、それぞれ壊滅的な被害に見舞われました。生き残った人々は、このような悲劇を繰り返さないために、集落を安全な高台上に移転させ、危険を警告する「大津浪記念碑」を建立して将来への戒めとしました。その戒めを守った結果、今回の震災では集落内での犠牲者や建物被害は出ておらず、石碑の教えの正しさが実証されたとして、その意義に一躍注目が集まることとなったのです。
 「石」に刻まれたメッセージから、私たちはどんな教訓をくみ取るべきなのでしょうか。

集落の外れに立つ「大津波記念碑」(岩手県宮古市)
集落の外れに立つ「大津波記念碑」
(矢印、岩手県宮古市)
「此処より下に家を建てるな」の碑文
「此処より下に家を建てるな」の碑文


 宮城県や岩手県の津波被災地を訪れると、至る所で「海嘯」(かいしょう)や「津浪」(つなみ)の文字が刻まれた古い石碑に行きあたります。これらは、明治および昭和三陸大津波の後に建立された記念碑で、上に紹介した「大津浪記念碑」もそのひとつです。
 明治の津波記念碑は、2万人を超える死者・行方不明者という甚大な被害を出した明治三陸大津波の後、犠牲者の慰霊などを目的として建立されました。しかし、文面が難解な漢文だったことも災いして、ほどなく地域住民からも忘れられ、災害の記憶の継承という役目を十分に果たせませんでした。それに対して、昭和の碑には「大地震の後には津浪が来る」「地震があったら津浪の用心」といった、平易な文言が選ばれているのが特徴です。津波の脅威を警告するこれらの石碑は、80年の時を超えて、防災・減災に向けた先人の知恵を私たちに語りかけているのです。


 その一方で、やや慎重な見方もあります。過去の津波記念碑には、今回の津波で倒壊・流失したものも少なくなく、防災の教えとして必ずしも有効に機能しなかったという意見です。また、「分かりやすさ」を重視した昭和の石碑も、やはり時間の経過とともに人々の意識から遠のいていったことも事実です。際立った成功例として紹介される姉吉地区は、小規模な集落であるために、教訓の共有や伝承が容易だったという事情もあるでしょう。先人の知恵が刻まれた石碑とて、決して万能ではないのです。


明治の津波記念碑(岩手県大船渡市)
明治の津波記念碑(岩手県大船渡市)
昭和の津波記念碑(宮城県女川町)
昭和の津波記念碑(宮城県女川町)
東日本大震災の津波で倒壊した昭和の津波記念碑(宮城県名取市)
東日本大震災の津波で倒壊した
昭和の津波記念碑(宮城県名取市)
右から明治、昭和、平成の津波記念碑(岩手県釜石市)
右から明治、昭和、平成の
津波記念碑(岩手県釜石市)


 しかし、そのような事情を差し引いても、先人が「石」という堅牢な素材に刻み付け、未来に引き継ごうとした防災への思いは何ら価値を失いません。問題は、私たちがその思いをどう受け止め、実際の行動に応用していくかという点にあるのではないでしょうか。石碑の意義と限界をともに認識したうえで、今後の防災・減災対策に適切に組み込んでいくことが、先人の知恵を生かす道であると思います。

 そして今、東日本大震災の惨禍を経験した岩手・宮城・福島の各県で、みたび石碑が建ちはじめています。一面の更地が広がる中、今は穏やかな海を背にして、あの日の悲しみを静かに訴える石碑たち。亡くなられた方々のお名前が刻まれた碑面の前に立つと、あまりの犠牲の大きさに言葉を失います。と同時に、この悲劇を忘れない、繰り返さないという気持ちもおのずと湧き起ってきます。これら平成の石碑たちは、災害の記憶と教訓を後世に伝える「語り部」としての役割を、明治・昭和の碑と並んで担っていくこととなるでしょう。私たちも、未来の世代も、石碑の「語り」に真摯に耳を傾けなければなりません。

東日本大震災慰霊碑と町立中浜小学校(宮城県山元町)
東日本大震災慰霊碑と
町立中浜小学校(宮城県山元町)
東日本大震災慰霊碑(福島県南相馬市)
東日本大震災慰霊碑(福島県相馬市)

 地震や津波は自然現象であり、それ自体の発生を予防することは不可能です。近い将来、地震予知が実用化される可能性も、残念ながら高くはなさそうです。そんな中で私たちがとるべき道は、自然災害の襲来を前提としたうえで、被害を最小限に抑えるための工夫をこらすことしかありません。そのためには、防潮堤や避難路の整備などハード面の対策とともに、いつか再来するであろう次の地震や津波まで、人々が高い防災意識を保ち続けることが重要です。東日本大震災を経験した今、明治・昭和の津波の記憶が時間とともに風化していった過ちを繰り返してはならないと、各地の石碑を見て回りながら痛切に感じています。
 東北地方での、いや全国どこであっても、津波慰霊碑の「建立の連鎖」が今回で終わることを願ってやみません。




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