山王遺跡の調査、ついに終了                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 昨年4月の赴任以来、一部の期間を除きほぼ一貫して携わってきた山王〈さんのう〉遺跡の発掘調査が、6月末をもって終了しました。三陸沿岸道路の4車線化とインターチェンジの建設に先立ち、平成24年4月から始まった調査も、これでようやく完了となります。三陸沿岸道路は、東日本大震災からの復興に重要な役割を果たすことが期待され、その早期完成が望まれています。そのため今回の調査では、遺構の発掘を工事掘削が及ぶ深度までに限定したほか、他県や他機関からの職員の応援、デジタル機器の導入などさまざまな手段で期間短縮を図り、復興の推進と埋蔵文化財保護という課題を両立させることができました。

山王遺跡と多賀城跡(南西上空から。現地説明会資料より)
山王遺跡と多賀城跡(南西上空から。現地説明会資料より)

 一連の調査によって、古代(奈良・平安時代)の多賀〈たが〉城に伴って整備された都市の様相が明らかになりつつあります。今年度の調査区では、北西部で都市を区画する道路(上写真の黄色い帯)の一部が見つかり、その内側に竪穴住居・掘立柱建物・南北方向の区画溝、畑の跡など多様な遺構が残されていました。一方、過去の調査によって、道路の北側には湿地が広がることが判明しています。山王遺跡の道路網は、平城京や平安京に似た方形地割を特徴としていますが、本地点で見つかった道路は円弧を描くように湾曲しています。湿地に接する本地点では、方形地割の原則を貫徹できず、区画は変則的な形になり、道路もまっすぐに通せなかったようです。以上の成果を合わせると、今回の調査区が町の北のはずれであることが分かり、都市の規模や構造を知るうえで貴重な成果が得られたといえます。

調査区北西部で見つかった道路跡
調査区北西部で見つかった道路跡
竪穴住居、どう掘る?
竪穴住居、どう掘る?
カマド付き、4本柱の住居でした
カマド付き、4本柱の住居でした
穴がいっぱい、人もいっぱい
穴がいっぱい、人もいっぱい


 さて今年度は、古代の都市遺跡よりも時代がさかのぼる、古墳時代前期の水田も調査しました。水田は古代の面よりも1mほど下にあり、かなりの範囲に広がることが過去の調査成果から分かっています。調査区の大部分は盛土によって保存されるため、今回は地下道の建設で下層遺構が破壊される部分についてのみ、調査を行いました。

 水田の発掘調査は、堆積した土を少しずつ削っていって、「畦」を見つけることから始まります。畦は水田面よりも少し高いので、平面的に削っていくとそこだけが色の違った帯状に見えてきます。畔が見つかったら、その部分を残しながら畦と畦の間を掘り下げ、最終的に水田面に到達して無事終了です(もちろん測量や断面観察なども必要です)。理屈は簡単なのですが、今回の現場では水が常に湧き出していて、土がすぐにぬかるんで色の違いも分からなくなるなど、苦労の連続でした。

 見つかった水田は、ほぼ直交する畔によって長方形に区画されており、個々の水田面の面積は20u前後です。以前、私が調査に関わった岡山市の津島〈つしま)遺跡でもそうでしたが、弥生時代や古墳時代の水田にはこうした小規模区画が多く、現代の広々とした水田に比べるとずいぶん狭苦しいなという印象を受けます。当時は、広い平坦面を作るために大規模な造成を行うのではなく、緩やかに傾斜した地形にあわせて畔で細かく区切り、水を効率的に溜める工夫がなされたようです。この水田の発見によって、多賀城築城よりずっと以前から、この地に人の営みがあったことが確認できたのも、今回の大きな成果です。

畔が見つかった様子です(分かりますか?)
畔が見つかった様子です(分かりますか?)
畔で細かく区切られた古墳時代の水田
畔で細かく区切られた古墳時代の水田

 調査終了が近づいた6月21日には現地説明会を開催しました。事前にテレビや新聞で取り上げられた効果もあってか、当日は230人もの見学者で賑わいました。見学者の方々には、多賀城に伴う都市の遺跡と、そこから4世紀ほどさかのぼる時代に営まれた水田という2時期の遺構を目の当たりにして、多賀城以前も含めた地域の歴史に思いを馳せていただけたのではないかと思います。私も、はるばる岡山からやってきてずっと関わってきた調査の終了を、大きな盛り上がりの中で迎えることができ、担当者の一人として報われる思いでした。

調査成果(と調査員)に大注目!
調査成果(と調査員)に大注目!
出土遺物に興味津々!
出土遺物に興味津々!

 終了にあたって、山王遺跡の調査に関わった調査員の人数と派遣元が気になったので、ちょっと調べてみました。すると、地元宮城県をはじめ、山形県・新潟県・群馬県・埼玉県・山梨県・奈良県・京都市・兵庫県・神戸市・島根県・岡山県・山口県・香川県・愛媛県・熊本県・宮崎県の、実に15県2市におよび、合計36名もの調査員が参加していました。山王遺跡が、全国からの復興支援の縮図ともいうべき現場だったことを今さらながら実感させてくれる数字といえます。私もその一人として調査に参加し、少しは役に立っただろうかと、1年を経た今になってあれこれと思い起こしています。

 最後になりましたが、発掘作業員・整理作業員の皆様、長い間どうもありがとうございました。全く縁のなかった東北の地で、言葉や調査方法の違いに時に戸惑いながらも、1年以上にわたり皆様とともに調査に取り組んだ日々は、私にとって宝物のような思い出です。でも、これで完全にお別れとは思いたくありません。山王遺跡の調査は終わっても、各地での復興調査はまだまだ続きます。またどこかの現場で、あるいは現地説明会で、再びお目にかかれることを楽しみにしています。それでは皆様、お元気で!

皆様、長い間ありがとうございました!
皆様、長い間ありがとうございました!



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