多賀城から山元、そして女川へ

                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 昨年4月の宮城赴任以来、ずっと担当してきた多賀城市の山王・市川橋遺跡の調査が今年1月でひとまず終わり、2月12日から27日まで山元町の新中永窪遺跡〈しんなかながくぼいせき〉、そして3月3日から19日までは女川町の荒井田貝塚〈あらいだかいづか〉の調査にあたりました。少々慌ただしい日々でしたが、どちらの遺跡も沿岸部の被災地に近く、復興調査の雰囲気を肌で感じられる貴重な経験だったと思います。

三遺跡の位置図
三遺跡の位置図

 新中永窪遺跡のある山元町は、宮城県沿岸部の南端に位置し、福島県新地町と接する県境の町です。被災したJR常磐線の内陸側への移設に先立ち、昨年4月から数か所で発掘調査が実施され、古代の鍛冶工房や有力者の居宅跡、東北地方最古級の木簡の発見など、数多くの成果が上がっています。場所柄、作業員さんの中には福島県側から通う方もおられ、宮城・福島両県民が共同で調査にあたる様子は、私(「筆者」は堅苦しいのでやめます)にとってはなかなか斬新な光景に映りました。

 さて、新中永窪遺跡での初仕事は何と「雪かき」でした。2月8日から9日にかけて記録的な大雪をもたらした南岸低気圧のおかげで、現場はすっかり雪の下。しかし調査を遅らせるわけにもいかないので、めいめい持ち寄った道具を手に、作業員さん総出の雪かき作業が始まりました。岡山県南部で生まれ育った私には物珍しい経験で、最初のうちは調子に乗って、すくった雪を勢いよく放り投げていました。しかし時間とともに足腰が痛くなり、飛距離も徐々に落ちてきて、夕方にはもう全身ガクガクの状態に。雪かきが一段落し、ようやく調査に入れたのは3日目の午後でした。もう雪かきはこりごり、などと言うと雪国の方々からお叱りを受けそうですが、ともかく雪国の苦労が少しは分かった気がする3日間でした。

 私が担当したのは、古代のカマド付き竪穴住居1軒とその周辺の遺構です。ごく短期間でしたが、一緒に仕事した作業員さんたちとすぐに打ち解け、和やかな雰囲気の中で調査を進めることができました。カマド付きの竪穴住居を掘るのは私にとって10数年ぶりだったため、作業の進め方もおっかなびっくりで、随分頼りなく思われたかもしれません。岡山県では、竪穴住居自体が7世紀を最後に消滅していくのに対して、東北地方では10世紀まで残り、しかもカマドを伴う例が多いので、調査で遭遇する確率が高いのです。知識として知ってはいましたが、奈良時代や平安時代の竪穴住居に実際に接してみて、東西の文化の違いに改めて気づかされました。

雪かきの写真
ようやくブルーシートを発掘!
準備体操の様子
ラジオ体操第一〜♪
筆者が調査担当した竪穴住居の写真
私が担当した竪穴住居です
斜面上の発掘作業の様子
こちらは斜面上の遺構検出作業

 続いて赴いた女川町の荒井田貝塚は縄文時代の遺跡で、海岸から少し奥まった高台の周辺に位置します。海岸沿いの集落には住宅の土台だけが残り、現場周辺には津波で流された漁具や生活用品などが今も散乱し、震災の爪痕が随所に刻み付けられています。一方、防災集団移転予定地の高台では樹木の伐採が始まっていて、復興の道のりはまだまだ遠いとはいえ、少しずつながらも進んでいる様子がうかがえました。

 今回の調査は、移転地への取り付け道路の建設に伴う確認調査で、作業員さんが数人という小規模なものでした。調査期間中、寒さやぬかるみに悩まされながらも、作業員さんたちは土器片を熱心に探したり、平らな石を土器片と間違って残念がったりと、作業の中に楽しみを見つけていました。その様子を見て、皆さんが仕事として調査に取り組むだけでなく、地元の歴史や文化への高い関心を持っておられることに感激しました。そんな皆さんと一緒に、小規模とはいえ女川町の歴史解明につながる調査に携われたことを、心から嬉しく思っています。

 さて、東日本大震災の発生から3年となる3月11日を、私はここ女川で迎えました。テレビに映し出される津波の映像を、食い入るように見つめたあの日からはや3年です。今、その現場に身を置きながら、復興に携わっていることを普段にも増して自覚する1日でした。地震発生時刻の午後2時46分には、サイレンの音を合図に私たちも黙祷を行い、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の復興と再生への決意を新たにしました。

 荒井田貝塚の調査が始まって間もないある日、現場近くに落ちていた枯れ枝で、寒さに耐えるようにじっとしている越冬中のキタキチョウを見つけました。また、地面の枯れ草の間からはみずみずしい黄緑色の「ふきのとう」が顔を出していました。長い冬を耐え抜き、春の訪れとともに優雅に舞い始める蝶たちのように、太陽に向かって精一杯に花開くふきのとうのように、被災地が復興を果たし、地域の活力を取り戻す日が来ることを願わずにはいられません。私も微力ながら、その一助となりたいと思っています。

重機によるトレンチ掘削の様子
重機によるトレンチ掘削
(後方の高台は集団移転予定地)
トレンチ壁面の清掃作業の様子
トレンチ壁面の清掃作業
春の使者、ふきのとうの写真
春の使者、ふきのとう
越冬中のキタキチョウの写真
越冬中のキタキチョウ

 新コーナー「東北の大地からの便り」、いかがでしたでしょうか。今年度の連載は今回でおしまいですが、来年度も岡山県から宮城県への復興調査支援は続きます。もちろんこのコーナーも継続し、復興調査の様子や現地の情報などを紹介していきますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。そして、復興調査に限らず、東北の復興全般についても関心をお寄せいただけますよう、よろしくお願いいたします。



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