地域再生に向けてできること

                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 身を切る寒風、凍てつく地面。西日本出身の人間にとっては厳しい季節がやってきました。通常であれば現場を休止する厳冬期にも、復興調査は休むことなく続いています。高台への防災集団移転をはじめ、被災者の方々の生活再建が急がれる中、発掘調査がその歩みを止めることは避けなければなりません。被災3県の埋蔵文化財担当職員、そして全国からの派遣職員一同、被災地の一日も早い復興を目指して、日々努力していることを御理解いただければ幸いです。

 さて、発掘調査が復興の妨げとならないように努力することは当然ですが、さらに一歩踏み込んで、調査によってもたらされる様々な考古学的成果が、震災からの復興、地域の再生に積極的に貢献できることは何でしょうか。今回は、筆者が参加した復興調査の現地説明会を題材にして、このことを考えてみたいと思います。

 5月18日。気仙沼市の唐桑町大沢地区にある海を見下ろす高台に、時ならぬ大群衆が押し寄せました。この高台では、防災集団移転事業に先立ち、「波怒棄館遺跡〈はぬきだていせき〉」の発掘調査が行われています。現地は岩手県との県境まであと1kmという、まさに宮城県の最果ての地ながら、参加者は350人という異例の人出でした。

 調査の結果、波怒棄館遺跡は縄文時代早期から晩期にかけての集落跡で、中でも前期末葉に最盛期を迎えたことが分かりました。沿岸部の遺跡だけあって出土遺物には魚貝類も目立ち、この地の縄文文化が豊かな海の恵みに支えられていたことが実感できます。特に、前期後葉(約5,500年前)の包含層から大量に出土した「マグロの骨」は、この集落でマグロ漁が盛んに行われたことを物語る証拠として大きな注目を集めました。解体の痕跡が残る骨を見ていると、丸木舟で果敢に海へと漕ぎ出して巨大なマグロを仕留め、集落内で解体、加工していた縄文人たちの姿が自然と思い浮かびます。

 気仙沼市といえば、現在でも東北のみならず日本を代表する水産都市のひとつです。説明会に集まった方々は、縄文時代の海の豊かさ、気仙沼の先人たちの勇壮な姿、マグロ漁で栄えた集落に思いを馳せ、現代にもつながる漁労文化の歴史に胸を熱くしたに違いありません。

波怒棄館遺跡のある高台の写真
波怒棄館遺跡のある高台
集落周辺に廃棄された土器片の写真
集落周辺に廃棄された土器片
波怒棄館遺跡の出土遺物の写真
豊かな海の幸(右端がマグロの骨)
高台から見える海と漁港の写真
高台から見える海と漁港

 そして半年後の11月10日。時おり冷たい小雨がぱらつく中、岩沼市の「高大瀬遺跡〈たかおおせいせき〉」を訪れました。しかし、見学者の前にあるのは1本のトレンチ(試掘溝)のみで、内部には竪穴住居などの遺構は一切見当たりません。一体、この空っぽのトレンチから何が読み取れるのでしょう。

トレンチの写真
このトレンチに一体何が?

 実はこの高大瀬遺跡では、まさに「トレンチの壁」(土層断面)にこそ貴重な情報が現れていました。土の断面を観察すると、最上層に東日本大震災の津波で運ばれた砂(下写真の第1層)が分厚く堆積しており、その下にいくつかの間層をはさんで、慶長地震(1611年)、貞観地震(869年)に伴う津波堆積物と考えられる層(第4・8層)が残っています。つまりこの「壁」は、宮城県の沿岸を襲い多大な被害をもたらした貞観・慶長・平成の大津波の痕跡が、まるで栞〈しおり〉のように挟み込まれ、繰り返される自然災害の歴史を記録した、一冊の書物ともいえるものだったのです。

高大瀬遺跡の土層断面の写真と解説
高大瀬遺跡に刻まれた津波の歴史(筆者撮影の写真に加筆)

 遺跡の発掘調査は、住宅や道路の建設といった、直接目に見えるモノを作る復興事業とは性格が異なり、その意義について必ずしも「一言で」説明できるとは限りません。しかし、上の2遺跡の事例から、発掘調査の成果が地域再生へ果たす役割が、少しずつ見えてきたように思います。

 被災地の復興には、市街地や産業の再生に加え、人々の地域への関心や愛着のよりどころとなる、さまざまな歴史文化遺産の保全と再生も不可欠です。遺跡の場合、復興事業に伴って現地保存が困難になるのはやむをえませんが、発掘調査の成果は地域の貴重な財産となります。波怒棄館遺跡の事例のように、遺跡の調査成果に直接触れて先人の営みに思いを巡らすことは、人々にとって地域の歴史を学び、故郷への愛着を深める絶好の機会であり、結果的にそれは復興の後押しにもつながるのです。

 また、被災地ではこれまで以上に災害に強く、安心して住める街づくりが急務となっています。その際、例えば高大瀬遺跡の津波堆積物など発掘調査によって見つかる災害痕跡は、過去の災害の規模や発生頻度を推測する手掛かりとなり、今後の防災・減災にも有益な情報を提供してくれます。さらに、津波の履歴が視覚的に捉えられる土層断面は、災害と復興の歴史を後世に伝える教材としての役目を担い、「防災・減災文化」の醸成にも寄与できるのではないでしょうか。

 今後も、各地の復興調査の進展に伴って、地域の歴史を解き明かし、時には塗り替えるような成果が続出することでしょう。そうした成果を、現地説明会などを通じて地域の皆さんに還元し、新しい地域づくりに向けてともに歩むことこそ、派遣職員も含めた文化財担当職員の責務といえます。これからも、遺跡の発掘調査と地域再生とのよりよい関係をめざし、調査で明かされた歴史をどう伝えていくのか、全国から集まった仲間たちの模索と挑戦は続きます。



 ※今回使用した写真は、すべて筆者が現地で撮影したものです。遺跡の内容については気仙沼市・岩沼市教育委員会作成の現地説明会資料を参考にしました。


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