気仙沼市台の下遺跡の調査成果                   

文/宮城県教育委員会 米田 克彦

   

 台の下遺跡の調査が始まって、しばらくは暑さや台風に悩まされましたが、9月になると次第に暑さも和ぐとともに、三陸の海からさわやかな風が吹くようになって、発掘現場も快適な環境になりました。
 8月はおもに丘陵頂部の調査。ここでは縄文時代後期の土坑40基以上と小さい穴が多数見つかりました。丘陵頂部中央には貯蔵穴として利用されていた複数の土坑が配置されており、そこからは多くの縄文土器や石器が出土しました。また、丘陵頂部の北側では深い穴が並び、掘立柱建物があった可能性があります。このほか、丘陵頂部の南側では縄文時代晩期の土器が丁寧に埋設された土坑も1基確認しました。
 9月に入り、西向きの斜面部を中心に調査を進めていくと、調査区南端の地形がやや窪んだところから縄文土器や石器がバラバラと…。その範囲は日に日に広がり、最終的に約20m×5m以上の広い範囲におびただしい数の縄文土器や石器、土偶(写真1)がまとめて捨てられていることが分かりました(写真2)。

台の下遺跡出土土偶
写真1
台の下遺跡出土土偶
縄文時代の捨て場
写真2
縄文時代の捨て場(南東から)

 さらに、斜面の下では平安時代(9世紀頃)の竪穴住居跡が見つかりはじめ、10月はその調査に精力を注ぐこととなりました。最終的に竪穴住居跡は6軒。このうち竪穴住居跡1は鍛冶炉(写真3)、竪穴住居跡2はカマド、竪穴住居跡3は鍛冶炉とカマド(写真4・5)を設けていることが分かりました。竪穴住居跡1・3で見つかった鍛冶炉や鍛冶関連遺物によって、台の下遺跡では平安時代に鍛冶(鉄器生産)を行っていたことが明らかとなりました。平安時代の鍛冶関連遺構は、気仙沼市内で初めての調査例であり、宮城県内の三陸沿岸でも類例が少なく大変貴重な成果が得られました。また、カマドは焚口中央で土製支脚(鍋を支える筒形の土器)が直立し、袖石の一部が残存していたほか、カマドから屋外に長く延びる煙道と煙出しピットを良好な状態で確認することができました(写真6)。

鍛冶炉をもつ竪穴住居跡1
写真3
鍛冶炉をもつ竪穴住居跡1
(南から)
竪穴住居跡3
写真4
竪穴住居跡3(北西から)

竪穴住居跡3の鍛冶炉
写真5
竪穴住居跡3の鍛冶炉(北から)
竪穴住居跡3のカマド"
写真6
竪穴住居跡3のカマド(西から)

 10月30日(日曜日)はこれらの調査成果を公開するため、現地説明会を開催しました(現地説明会資料)。当日は秋晴れで、気仙沼市はもとより、県内外から150名もの方々の参加があり、縄文時代と平安時代の遺構や遺物の説明に熱心に耳を傾けていただきました(写真7)。

現地説明会の様子
写真7
現地説明会の様子
気仙沼のみなさん"
写真8
気仙沼の皆さん、お世話になりました

 初雪が舞った11月上旬、台の下遺跡の発掘調査は完了。酷暑から初冬にかけて限られた期間のなか、内容の濃い遺跡の発掘調査でしたが、発掘現場にはいつも笑顔があり、お互いに助け合いながら調査することができました。調査を支えてくださった気仙沼復興協会の発掘作業員の皆さん、たいへんお世話になりました。



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