宮城県における震災復興事業に伴う埋蔵文化財発掘調査について(第2回)                   

文/宮城県教育庁文化財保護課 技術補佐 天野 順陽

   



1 今回は・・・
 前回(第1回)は、ご挨拶中心の内容になりましたが、今回は、これまで60遺跡以上実施してきた復興調査(本発掘調査)の中から、岡山県派遣職員の大橋雅也さん(H24)、岡本泰典さん(H25・26)、杉山一雄さん(H27)に担当いただいた山王〈さんのう〉遺跡(多賀城市)、涌沢〈わくさわ〉遺跡(山元町)、合戦原〈かっせんはら〉遺跡(山元町)の調査成果等を紹介します。

2 復興調査限定の特別ルール
 復興調査成果をお話しする前に、まず、復興調査を早く終了させるための「復興調査限定特別ルール」についてお話しします。
 東日本大震災という非常時に、平常時と同じように調査を行っていたら「発掘調査のせいで復興事業が遅れた」と言われかねませんので、文化庁と被災3県(岩手県・宮城県・福島県)で協議し、共通の「復興調査限定特別ルール」を作りました。
 各都道府県には、工事の種類や内容に応じて、どのような対応・調査をするかという「発掘調査基準」が設けられていますが、復興調査に限っては、この基準を平常時よりも弾力的に取り扱い、「壊される範囲のみ発掘調査を実施する」という大きな方針を定めました。言い換えれば「壊されないところは簡単な調査に止める又は調査は不要とする」ということです。
 この方針により、特に盛土〈もりつち〉工事部分が多い道路建設に関連する調査は、後述の山王遺跡のように、平常時の1/4程度の調査期間で終了し、まさに効果絶大でした。また、被災した個人住宅の再建など比較的掘削が浅い簡易な工事についても、その多くが平常時より迅速な対応となりました。
 一方、防災集団移転促進事業(いわゆる高台移転事業)のように、山を切り崩して宅地等を造成する工事については、遺跡が大きく壊されてしまうため、残念ながら、ほとんどの部分で特別ルールは適用できず、平常時と同様に記録保存を目的とした本発掘調査を行うこととなりましたが、工期に影響が生じないよう迅速に調査を進めるよう努めました。

3 復興調査の成果
 (1) 山王遺跡(多賀城市。三陸沿岸道路4車線化・多賀城IC建設)
  三陸沿岸道路は宮城県と青森県を結ぶ太平洋沿いの高速道路です。後述の常磐自動車道と接続しているため、完成すれば内陸部を通る東北自動車道路とともに、東北と首都圏を結ぶ大動脈となります。
 @ 山王遺跡の調査経過について
 実は、山王遺跡の発掘調査は三陸沿岸道路及び多賀城IC建設に先立ち、平成元年〜7年に一度着手していますが、諸事情により事業が縮小・休止となったため、発掘調査も止まりました。計画されていた三陸沿岸道路は、暫定的に片側1車線の2車線のみの開通となり、多賀城IC建設は先送りされました。
 約16年後の平成23年3月11日に東日本大震災が発生しました。震災直後から、三陸沿岸道路がケガ人や応援職員、生活物資等を運ぶのに重要な役割を果たしたことや、多賀城ICの位置まで津波が来ないことが実証されたため、当時の民主党前原国交相が同事業の再開にゴーサインを出し、復興道路として早期開通を目指すことになりました(図2・3)。
 当時、私は担当班長でしたが、大変なことになったと頭を抱えました。山王遺跡は陸奥国府〈むつこくふ〉多賀城〈たがじょう〉跡の南側に広がる古代都市跡として知られおり、その内容はとても書き切れませんが、宮城県としては大変重要な遺跡と認識しています。また、調査対象面積は約24、000uと広大で、しかも下層には古墳時代、その下層には弥生時代の遺構・遺物があるとされていたため、平常時の調査方法ですと3班体制でも最低7〜8年はかかるであろうと見積られていた遺跡でした。事業者の国交省からは、とにかく早く調査を終了するよう強く要望されましたが、当課としても必要な調査は行わなければならず、両者で早期終了のための協議を重ねました。
 協議の結果、当課は工期に間に合うように調査体制を強化して対応することを約束しました。一方、国交省には、ICのループ部分の盛土施工に当たっては「軽量盛土工法」を採用すること、冬期間の調査をする場合はドームを設置することなどを要望し、受け入れられました。
 A 軽量盛土工法とドーム設置について
 ◆軽量盛土工法について
 土の代わりに工業用の発泡スチロールのような材料を使うことにより、土の重さを軽くし、地盤沈下を防ぐ工法で、湿地などに道路等を作る際に使われます。外見は土で中身が発泡スチロールというイメージでOKです。
 山王遺跡は自然堤防上に位置する遺跡ですが、以前は湿地や河川だった部分もあり、丘陵に比べ全体的に地盤はあまり強くありません。料金所から高速道路に合流するまでのループ部分では盛土の高さが約10mになります。国交省によれば、ループ下の地盤は、この土の重みにより約50cm沈下するとの計算で、これでは遺跡に影響が出ると思われました。
  復興調査では、壊されないところは調査不要と上述しましたが、通常の盛土工法では直接的な掘削はないものの、土の重さで遺跡が壊されると判断されるため、結果的に本格的な調査が必要になり、時間がかかってしまいます。そこで、コストは通常の盛土に比べ約2倍とのことですが、計算上は沈下がほとんどない軽量盛土工法を採用してもらい、調査期間の短縮化を図ったわけです。復興調査特別ルールを適用できたこともあり、山王遺跡の調査期間は、当初予定の約7〜8年から約2年に短縮されました。
 ◆ドーム設置について
 宮城県では冬期間(12月〜3月)は積雪、凍結等で調査効率が悪く、また、霜柱等による遺跡破壊もあるため、これまで試掘や緊急時の小規模な調査を除き、基本的に発掘調査は行っていませんでした。しかし、調査を少しでも早く進めるため、先行して工事を行う橋脚部の調査(1基:1辺約13m四方、深さ約6m+柱状杭打ち)については、国交省がドームを設置することを条件に、冬期間も発掘調査を実施することとしました。宮城県では初めてのドーム設置で、正直なところ、私もちょっと楽しみにしていました。
 しかし、残念ながら、国交省から「ドーム用の資材が予定通り準備できないこと、予算が厳しくなったこと、既存の三陸沿岸道路のすぐ隣にドームを建てるのはネクスコ東日本と相当調整に時間を要することなどから、ドーム設置は困難」との連絡があり、ドーム内での調査は実現しませんでした。
 B 調査成果
 これまでの調査により、山王遺跡の内容はおおよそ把握していましたが、今回の約2年にわたる調査により、古墳時代から中世にかけての移り変わりを捉えることができ、特に、平安時代の古代都市の区割りや建物の配置等がより明確になったのは貴重な成果となりました。また、貴重な遺物も多数出土し、その一部は「発掘された日本列島2013・2014」にも出展されています(図4・山王遺跡説明会資料参照)。
 C 派遣職員の活躍(感謝)
 宮城県では、通常、1遺跡1班(2〜4名程度)体制で調査を行っていますが、山王遺跡は調査対象面積が広いため、調査員を最大12名、作業員90名を投入し、工事の進捗に合わせ、2〜3班に分かれて対応しました。調査員の多くは派遣職員で、岡山県派遣職員の岡本さんにも平成25〜26年度まで調査・整理作業を担当していただきました。
 調査期間中、何度も現場で派遣職員の仕事を見てきましたが、私が特に印象に残っているのは、発掘調査成果説明会(以下、説明会)です。山王遺跡では、平成24〜26年度に渡る調査期間中に説明会を4回開催し、毎回約200〜250名の来場がありました。説明会の最初に担当職員を紹介しますが、派遣元の県市名を伝えると、来場者から拍手と「オー」という歓声があがったことを強烈に記憶しています。山王遺跡の調査が全国からの応援を得て進められていることをわかってもらえたこともありますが、「遺跡調査は復興の妨げ」という報道・考え方がある中、県民が復興調査を好意的に受け入れてくれていることがうれしかったです。
 また、岡本さんを含め派遣職員の中には、慣れている派遣元のユニホーム(作業着)・ヘルメットを着用していた方がいましたが、オールジャパンで復興調査を進めていることを視覚的にアピールでき、非常に効果的でした。このため、派遣職員には宮城県のユニホームもお渡ししておりますが、最近では、説明会の際には、あえて派遣元のユニホームを着用するようお願いしているところです(図5)。
 そして、担当場所に分かれて個別の説明が始まると、宮城県の標準語とは明らかに違う発音がすごく新鮮で、しかも笑顔で、身振り手振りで、わかりやすいこともあり、来場者が真剣に耳を傾けていたことが印象的です。説明後に各所で多くの質問が出たのも、派遣職員の説明がわかりやすく、来場者がもっと聞いてみようという気持ちになったからでしょう。さすがに皆さん上手いなあと思いました(図6)。
 山王遺跡の調査に限りませんが、派遣職員の派遣元と宮城県では調査方法、発掘機材などが違っている部分もあり、また、冬期間も調査に当たっていただくなど、いろいろご苦労をおかけしましたが、お陰様で平成26年6月末に無事調査を完了することができました。現在、平成28年4月の多賀城IC運用開始を目指し、急ピッチで工事が進められております(図7)。あと半年で完成です。宮城県を車(レンタカー)で旅行する機会がありましたら、是非、多賀城ICで降りて、陸奥国府多賀城跡や東北歴史博物館等を見学してください。
 (2) 涌沢遺跡ほか(山元町。常磐自動車道建設)
 常磐自動車道は、宮城県と首都圏を結ぶ太平洋沿いの高速道路です(図2)。宮城県南端に位置する山元町の山元IC〜福島県境までの工事に先立ち、平成21年度に調査を開始しました。対象遺跡は24遺跡で、宮城県教育委員会と山元町教育員会が分担して調査を行いました。常磐自動車道も三陸沿岸道路と同様に、最初は通常事業としての調査でしたが、震災後、復興道路に位置づけられ、事業者の東日本高速道路株式会社(ネクスコ東日本)から早期の調査終了を要望されていました。
 平成24年度から、上記「復興調査限定特別ルール」を適用して調査を進めた結果、平成26年7月にすべての調査が終了しました。ルート内は比較的盛土部分が多かったので、やはり特別ルールの効果は大きかったと思います(涌沢遺跡現地説明会資料参照)。
  岡山県派遣職員の大橋さんには、平成24年度に涌沢遺跡(奈良・平安時代の集落跡)や上宮前〈かみみやまえ〉遺跡(奈良時代の製鉄関連遺跡)などの調査、整理作業を担当していただきました(図9)。アパートのある仙台市内から山元町の発掘調査現場まで毎日約40kmを車で通勤していただき、ご苦労をおかけしました。山元町は「宮城の湘南」と呼ばれるくらい県内では比較的温暖な町で、冬期でもほとんど道路が凍結することはありません。しかし、大橋さんのアパ−トがあった仙台市郊外は、急で狭い坂道が多いだけではなく、冬期は凍結し、気をつけないと車がジェットコースターのように滑り落ちる危険もあり、運転には相当神経をすり減らしたのではないかと申し訳ない気持ちで一杯です。また、現場では、大橋さんから、いろいろなことを教えていただき、当課の若い職員が大変勉強になったと感謝しておりました。本当にありがとうございました。
 お陰様で、平成26年12月6日に山元・相馬IC間、平成27年3月1日には福島県浪江・常磐富岡IC間が開通し、宮城県・福島県から首都圏まで高速道路一本で結ばれました(図10)。途中、原発事故があった福島県浜通り地方を通過しますが、全線開通したことにより、津波や原発による被害があった地域の皆様の生活再建が加速することを願ってやみません。
  なお、平成27年4月20日に、事業者の東日本高速道路株式会社から、早期開通に協力した機関として宮城県教育委員会が表彰されました(図11)。思いもよらなかったことでびっくりしましたが、当教育委員会の対応が認められた形となり、うれしく思っています。
 (3) 合戦原遺跡(山元町。防災集団移転促進事業)
 @ 遺跡の概要
 上記涌沢遺跡同様、宮城県南端の山元町に所在する遺跡です。常磐自動車道山元ICの南西約5km付近の丘陵上に位置し、これまでの調査で古墳時代〜奈良・平安時代の集落跡のほか、古墳、窯跡など多数の遺構が確認されています。
 合戦原遺跡の本発掘調査は、山元町教育委員会が調査主体となり、昨年度の8月に始まりました。調査面積が広いことから、宮城県教育委員会からも6〜9名が調査に協力しており、今年度は岡山県派遣職員の杉山一雄さんにも担当していただいています。
 A 発掘調査成果説明会開催
 杉山さんも、第15回に、合戦原遺跡の調査成果等について書かれていますが、私からも、改めて、平成27年7月25日(土)に開催された説明会の報告をします。
 平成26〜27年度の調査で、今回の調査対象範囲内には、横穴墓〈よこあなぼ〉(A区)、古墳・木炭窯跡(C区)が集中している区域があることが明らかになりました(合戦原遺跡現地説明会資料参照)。特に、横穴墓域(A区)では、残存状況が良好な横穴墓54基が発見され、このうち38号墓の玄室〈げんしつ〉(遺体を安置する場所)奥壁で線刻画〈せんこくが〉が確認されたことは大きな成果です。また、玄室内からは副葬品とみられる刀剣や馬具などの金属製品、玄室の前からはお供え用の土器類などが多く出土し、この地域の歴史を考える上で貴重な資料が得られました。
 今回の成果は、テレビや新聞等で「集団移転先から横穴墓発見!」と大きく取り上げられたこともあり、説明会には、猛暑にもかかわらず、約450名もの参加がありました(図12)。宮城県では、平成24年度以降、復興調査の成果を説明会等で一般に公表していますが、今回は気仙沼市波怒棄館〈はぬきだて〉遺跡(防災集団移転促進事業)の約350名、南三陸町新井田館〈にいだたて〉跡(防災集団移転促進事業)の約320名、多賀城市山王遺跡(三陸沿岸道路建設)の約250名などを大きく上回る最高の参加人数でした。学生や家族連れが多くみられ、一般参加者に混じり、私服を着た発掘調査専門家や大学の先生なども多数確認できました。
 説明に当たっては、参加人数が多かったこともあり、4班に分けて、横穴墓、古墳域、木炭窯域、出土遺物の説明をしました。
 杉山さんはC区木炭窯の説明担当でした。落ち着いた丁寧な口調で窯跡の構造などを説明され、参加者は熱心に聞き入っていました。@山王遺跡のところでも書きましたが、派遣職員の皆さんは説明が上手です(図13〜15)。
 横穴墓域では、やはり線刻画が確認された38号墓が人気でした。見学希望者数が多かったため、玄室内滞在時間1人10秒程度という制限はありましたが、多くの参加者に線刻画を実見してもらうことができました。「すごい。感動した」「本物は初めて見た」「いたずら書きみたい」「よくわからない」など参加者の感想は様々でしたが、「本物」を見てもらうことができて良かったと思っています。また、暑い中、列を乱すことなく、見学の順番待ちをしていた参加者のマナーの良さには感心しました(図16・17)。
 出土遺物の展示は現場プレハブ内で行いました(図18)。注目1は刀剣で、一緒に展示してあった馬具やアクセサリー類と合わせ、ため息交じりにジッと見ている方(特に女性)が多かったです。クーラーが効いていたこともあり、大混雑でした。
 B 調査は終盤へ
 冬期も含め1年以上続いた合戦原遺跡の調査もいよいよ終盤で、秋頃には終了する見込みとなりました。気になる横穴墓等の取り扱いについては、この場所が集団移転先で、設計変更等による工期延長は絶対に避けたいこともあり、保存は相当困難と考えていますが、貴重な遺跡であることも間違いないため、工期に影響を与えない範囲で、一部でも保存できないか、事業者である山元町と調整を図っているところです。
 また、調査終了後は出土遺物の整理、そして報告書の作成に入ります。発見した遺構数、出土遺物が多いため、報告書刊行まで時間を要しますが、遺物整理・報告書作成においても、報告内容を厳選するなどして、復興調査同様、迅速に進めていきたいと思います。

4 次回は・・・
 今回報告した3遺跡のうち2遺跡が山元町所在の遺跡でした。山元町は人口約13,000人の小さな町ですが、被害が甚大で、現在も多くの復興事業が進められています。それに伴い、復興調査件数も多いですが、調査を予定期間内に終了できたのは、派遣職員の応援があったからだと改めて感じています。
 復興調査のピークは過ぎたとは思いますが、山元町では今後も復興調査が続くと見込まれます。山元町教育委員会の専門職員は1名であるため、当教育委員会としては、今後も職員派遣に係る調整も含め、全力で調査協力していきたいと考えております。
 次回3回目は、合戦原遺跡同様、昨年度から冬期間も調査を継続している石巻市羽黒下〈はぐろした〉遺跡について報告する予定です。羽黒下遺跡は縄文時代前期〜中期頃の集落跡で、高台移転に関連する大規模な調査では、おそらく最後になる遺跡です。お楽しみに。


宮城県地図 復興道路・JR関連調査

三陸沿岸道路多賀城IC 山王遺跡 山王遺跡出土遺物

山王遺跡調査員紹介 H25.7.21 山王遺跡 岡本さんの説明

多賀城IC建設中 H28.4月開通 涌沢遺跡 出土遺物

涌沢遺跡説明会 H24.8.5 大橋さんの鉄作り講義 常磐自動車道完成 H26.12.6

ネクスコ東日本からの感謝状 合戦原遺跡説明会 H27.7.25

合戦原遺跡 調査員紹介 合戦原遺跡 C区木炭窯跡

C区 杉山さんの説明 A区西側 横穴墓群

A区38号墓 線刻画見学 出土遺物 刀剣 馬具 ほか



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