夏の宮城                   

文/宮城県教育委員会 杉山 一雄

   

 平成27年3月31日に宮城県の地を踏み、4月1日から復興支援に携わって4か月が過ぎました。

 東北地方に来るのは初めてで、寒さが厳しい印象がありました。実際、5月中旬までコタツを使っていました。梅雨明け以降は、夏らしい暑さが続いて、日中の気温は30度前後と例年より少し暑いようです。しかし、岡山の35度前後の日中に比べると気温は低いですし、何より風が爽やかに感じられるので、私にとってはとても暮らしやすいです。
 平成27年度の宮城県への派遣職員は12名(山形県・群馬県・千葉県・新潟県・新潟市・長野県・岐阜県・兵庫県・岡山県・山口県・佐賀県・宮崎県)で、私は山元町の職員、宮城県2名、山形県、新潟県、岐阜県各1名の調査員たちと発掘調査をしています。県内の調査状況については前回(第14回)の天野さんからの便りに詳しく書かれていますので、そちらをご覧ください。

県南の調査現場−亘理郡〈わたりぐん〉山元町〈やまもとちょう〉合戦原〈かっせんはら〉遺跡

 私が調査を担当することになった合戦原遺跡は、宮城県最南端の山元町にあります。海岸沿いに位置するこの町は、南は福島県新地町と境を接しています。沿岸部には名産である苺のハウスが建ち並び、県内でも有数の美しい砂浜を持つ磯浜海水浴場は伊達政宗が初めて海を見た場所として有名です。震災時には津波による被害が大きく、平成27年2月の統計では636人の方が亡くなり、家屋被害は全壊2,217棟(内、1,013棟が流出)、半壊・一部倒壊2,223棟に上っていて、震災前に16,608人(平成23年3月1日段階)であった人口は、12,599人(平成27年4月1日段階)まで減少しています。海岸線から1kmしか離れていなかったJR常磐線も破壊され、現在は北隣の亘理町にある浜吉田駅から南の福島県相馬駅の区間は路線自体を西に移動して建設中のため、住民はいまだ不便を強いられています。

山元町の案内看板
山元町の案内看板
   
震災被害に遭った元JR山下駅
震災被害に遭った元JR山下駅
   

 町内では、沿岸部にあった住宅街を西の丘陵部に移す防災集団移転工事や圃場整備といった公共事業を始めとして、復興などのために使う土取工事などの民間事業も多く、宮城県内でも埋蔵文化財の調査が多い自治体の一つです。
 合戦原遺跡は、海岸線から約2km入った海抜約20〜30mの丘陵東斜面に位置しています。弥生時代の遺物も出土しますが、主には古墳時代後期から平安時代の横穴墓〈よこあなぼ〉と製鉄関連遺構が多数見つかっています。ここは、防災集団移転並びに災害公営住宅事業に伴って平成26年8月から発掘調査を行っていて、丘陵ごとにA〜E区に分けて調査しています。
 今年度はA区とその北側で私の担当するC区を中心に調査を行っています。
 A区では古墳時代後期の横穴墓54基が見つかっています。横穴墓は、丘陵の岩盤をトンネル状に掘って玄室〈げんしつ〉(=遺体を納める部屋)が造られています。副葬品はそこに向かう墓道〈ぼどう〉や玄室入口にあり、須恵器〈すえき〉や土師器〈はじき〉といった器〈うつわ〉類、装身具類(まが玉・管玉)、刀や鏃などの武器類が多く出土していますが、大刀や馬具の数と種類の多さが目を引きます。
 C区では、古墳時代後期の竪穴住居と平安時代頃の製鉄炉や炭窯が見つかっています。炭窯はお互いがほとんど接するように8基確認しています。斜面の低い位置から岩盤をトンネル状に掘って製鉄に使う炭を焼き、天井が落ちたり壊れたりしたら上に向かって新しく造り直しています。
 横穴墓や炭窯は、岡山県では調査することのない遺構で、現在も手探り状態で調査しています。
 7月25日(土曜)には現地説明会を開催しました。この週は雨が続き、当日も午前中は雨が降っていましたが、午後からは雨は止んだものの温度・湿度が高くなりました。そんな中、町内をはじめとして宮城県の内外から450人を超える参加者を迎えました。A区で発見した玄室に線刻のある横穴墓では玄門〈げんもん〉の外からライトアップした線刻画〈せんこくが〉を覗き見てもらいました。短い時間でしたが見学した方々は、人や鳥・船など多彩な線刻に感動されたようです。まだ、すべてのモチーフを確認できていないので、今後の解明に期待していただければと思います。
 発掘調査は、A区の横穴墓は8月中に、C区の木炭窯などは9月末ころを目標に進めていきます。
 現地説明会資料は、山元町役場のホームページに公開されていますので、興味のある方は山元町のそのほかの調査の様子も含めてご覧ください。
 参考までに、今回の資料のリンク先は以下のとおりです。

 @現地説明会資料http://www.town.yamamoto.miyagi.jp/uploaded/attachment/3526.pdf
 A壁画資料http://www.town.yamamoto.miyagi.jp/uploaded/attachment/3528.pdf


調査地(A区)から太平洋を望む(西から)
  A区から太平洋を望む(西から)
  震災前は、木立の向こうに家や松林
が立ち並んでいて海は見えなかったそ
うです。    
A区調査前のようす(東から)
    A区調査前の様子(東から)
  白い岩盤の東向き斜面に黒い土で埋
まった横穴墓が見えています。
  


A区古墳時代の横穴墓(南から)
  A区古墳時代の横穴墓(南から)
  柔らかい岩盤を加工して、死者を納
める部屋と通路を掘っています。
   
C区調査前のようす(南東から)
   C区調査前の様子(南東から)
  炭窯や竪穴住居が黒く見えていま
す。 上の木立には古墳時代の古墳群
が残っています。    


C区平安時代頃の炭窯(南から)
   C区平安時代頃の炭窯(南から)
  緩やかな斜面に下から上へ向かって
何度か造り直しています。
  写真の2基は、最後に作られた窯で、
手前には窯から捨てられた炭くずが黒く
見えています。    
C区炭窯内のようす(北西から)
   C区炭窯内の様子(北西から)
  落下した天井の上の土を取り除いた
ところです。窯の床や壁は強い火力の
影響で赤黒く焼け締まっています。
   


現地説明会のようす@
現地説明会の様子@
現地説明会のようすA
現地説明会の様子A


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