発掘ラッシュの山元町                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 宮城赴任から、早くも2年近くの月日が流れました。大学時代を除けば、岡山県外に住民票を移し、これほど長期間を過ごすのは初めての経験です。当初あった、被災地に乗り込むという緊張感も次第に落ち着き、今ではすっかり宮城県民としての普通の生活に慣れてきました。しかし、復興はまだ道半ばであり、仮設住宅で不便な生活を強いられている方々、震災で負った心の傷を抱えた方々が大勢いる現実を忘れてはならないと、常に自戒しています。

 私は、前回ご紹介した市川橋〈いちかわばし〉遺跡に続き、昨年の12月8日から今年の1月16日まで、宮城県沿岸南端の亘理郡〈わたりぐん〉山元町〈やまもとちょう〉で、熊の作〈くまのさく〉遺跡の発掘調査を担当しました。山元町の遺跡に赴くのは、昨年2月の新中永窪〈しんなかながくぼ〉遺跡以来で、その時に一緒だった作業員さんとも再会でき、厳寒の中でも楽しく調査を進めることができました。

 熊の作遺跡は、山元町南部の丘陵上に立地する、古墳時代から平安時代にかけての遺跡です。JR常磐線の移設に伴うこれまでの調査で、奈良〜平安時代の大型建物群と、それらを囲む塀や門の跡が見つかりました。また低湿地部分からは、現在の福島市南東部にあたる「信夫郡安岐里〈しのぶぐん あきのさと〉」の人名が記された東北地方最古級の木簡や、郡司〈ぐんじ〉の官職を示す「大領」の墨書がある土器など、注目すべき遺物が出土しています。 これらの遺構・遺物から、熊の作遺跡には古代の曰理郡〈わたりぐん〉の郡司がいたことが分かり、曰理郡に関わる官衙〈かんが〉(役所の意味)の存在が推測されています。山元町だけでなく、東北の古代史を研究するうえでも不可欠な重要遺跡といえるでしょう。

熊の作遺跡遠景
熊の作遺跡遠景(南西から)
宮城県教育庁文化財保護課提供、一部改変
「大領」の墨書土器
墨書土器
宮城県教育庁文化財保護課提供

 今回の調査は、これまで道路の下になっていて、最後まで残った部分を対象に実施しました。全体の調査終了を待たず、調査の済んだ区画から順次引き渡し、調査と工事を同時進行させて期間短縮を図るのが、復興調査の基本的な方針です。今回も、すぐ隣では工事の重機やトラックが動き回り、丘陵は切り開かれて法面がコンクリートで覆われ、鉄道敷設の準備が着々と進んでいます。地域再生の鍵となるであろう、鉄道復活への確かな歩みを横目に、時おり上空を通過するハクチョウたちに応援されながら(?)の調査となりました。

 短期間の調査でしたが、奈良〜平安時代と思われる竪穴住居や掘立柱建物〈ほったてばしらたてもの〉が見つかり、これまでの空白域が埋まって、遺構の形状や変遷が一層明らかになるという成果が挙がりました。例えば、下の写真にある掘立柱建物はちょうど調査区の端にあり、前回の調査で見つかった柱穴は4本のみでしたが、今回の調査によって残りの柱穴が見つかり、合計8本の柱穴をもつ建物であることが判明しました。立派な四角形の柱穴は、いかにも官衙の建物の雰囲気を漂わせています。

 平成25年度から始まった常磐線移設に伴う発掘調査は、今回をもってほぼ終了し、今後は急ピッチで工事が進みます。数年後、復活した常磐線の電車に乗って、再び山元町を訪れる日を楽しみにしています。


調査区の全景
調査区の全景
   
すぐそばに迫った工事現場
工事がすぐそばに迫る調査の様子
   
四角い柱穴をもつ掘立柱建物
四角い柱穴をもつ掘立柱建物
   
上空を飛ぶハクチョウの群れ
上空を飛ぶハクチョウの群れ
   


 さて、ここで下の図をご覧ください。山元町内の遺跡の分布状況を示したものです。図の左側が阿武隈山地から連なる丘陵、右側が太平洋、下側は福島県新地町〈しんちまち〉です。


山元町内の遺跡分布図
山元町内の遺跡分布図
宮城県教育庁文化財保護課提供、一部改変
   

 ご覧のように、町内の丘陵上はまさに遺跡の宝庫です。この中を、新たに建設された常磐自動車道と、海側から移設される常磐線が通るのですから、あちこちで遺跡にぶつかり、必然的に発掘調査の件数も増加しました。さらには防災集団移転などに伴う発掘調査も始まり、今の山元町は空前の発掘ラッシュを迎えています。熊の作遺跡の調査中も、山元町教育委員会による合戦原遺跡〈かっせんはらいせき〉の調査が大々的に行われており、現在も継続中です。町教委の方々は発掘調査だけでなく、調整事務や報告書作成なども担当しておられ、その奮闘ぶりには本当に頭が下がります。

 山元町の遺跡を特色付けるのが、古代(奈良〜平安時代)の生産遺跡です(上図で青く着色した部分)。現在の山元町および福島県新地町を含む一帯は、福島県の相馬地域と並び、律令国家の東北進出に必要な鉄の生産を担っていた地域で、製鉄炉、製炭窯、鍛冶工房などの生産遺跡が数多く残されているのです。今回の復興調査は、製鉄をはじめ多くの生産遺跡の実態を解明し、それらと同時期の官衙の存在も、熊の作遺跡の調査によって裏付けられました。今まさに、山元町の埋もれていた古代史が、土の中から少しずつ姿を現しつつあります。もちろん、他の時代の遺跡も少なくありません。

 こうして日の目を見た埋蔵文化財は、現地説明会や展示会などで一般に公開され、訪れた多くの人々に「地元にこんなすごいものがあったんだ!」という驚きと感動を呼び起こしています。今後、復興の歩みを加速していく山元町にとって、調査成果がもたらす地域への誇りと愛着、そして未来への希望が、真に豊かで文化的な街づくりの基礎となることを願っています。 


新中永窪遺跡の現地説明会
新中永窪遺跡の現地説明会
(平成26年6月15日)
   
山下館跡の現地説明会
山下館跡現地説明会
(平成26年6月15日、長橋至氏提供)
   

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