ふたたび多賀城へ                   

文/宮城県教育委員会 岡本 泰典

   



 6月末の現場終了から、はや5か月。季節は移ろい、勤務先の文化財保護課分室から見える街路樹のトチノキも、すっかり葉を落として冬の装いです。宿舎からいつも眺めていた南蔵王連峰も、10月末には雪をまといました。私にとって2回目となる「東北の冬」の到来を実感しつつ、今年も無事に乗り切れるかどうかと、少しばかり身構えています。

 そんな11月後半の2週間、多賀城市の市川橋遺跡に応援に行ってきました。そう、私が昨年度調査に関わった、あの市川橋遺跡です。今回の調査は、現地を東西に走る県道泉塩釜線の4車線化に伴うもので、昨年度の調査区とは県道を挟んで北隣の位置にあたります。かつての現場はすでに埋め戻され、三陸沿岸道路のインターチェンジ建設工事が急ピッチで進んでいて、もはや当時の面影はすっかり消え失せていました。なお、市川橋遺跡と山王遺跡は、三陸沿岸道路を境に名称が異なるだけで、実質的には同一の遺跡です。
 今回の現場は、県道に沿った幅約10m、長さ約60mの細長いものですが、古代都市の一角だけあって、奈良〜平安時代の道路、竪穴住居、材木塀、溝などが見つかっています。私の主な仕事は、デジタル機器を使用してそれらを実測し、図面を作成する業務でした。昨年初めて使った測量用ソフトにもすっかり慣れましたが、ノートパソコンを首から下げて丸1日作業すると、なぜか首だけでなく全身が凝りに襲われるのが悩みです。

発掘調査現場
発掘現場(手前)とインターチェンジ建設
現場(奥)、その間が県道泉塩釜線
   
材木塀跡の調査
材木塀跡の調査(小さな丸が丸太の痕跡)

 市川橋遺跡・山王遺跡には、格子状に張り巡らされた道路や区画溝など、総延長が数百mにおよぶ遺構が少なくありません。当然、別の調査区で同じ遺構にあたることもしばしばです。こういう場合、以前の調査成果を参考にして遺構の配置を推測できる利点もありますが、一方ではこれがちょっとしたプレッシャーでもあります。隣の調査区で見つかった遺構が、今回の調査区で見つからないとつじつまが合わなくなりますし、遺構の解釈も過去の成果と整合させる必要があります。今回の調査でも、以前の調査区から続く道路や溝が何本も現れ、過去の成果と矛盾がないかどうか、毎日図面を見比べて検討を行いました。双方の遺構がピタッとつながると、一安心です。


去年見つけたこの溝が・・・
去年見つけたこの溝が・・・
   
今年のこの溝につながります
今年のこの溝につながります
   


 さて、今回は新しい試みとして、「マルチコプター」による空撮を実験的に行いました。操るのは群馬県からの派遣職員、矢口裕之さん。ニュース等で知ってはいましたが、初めて見たマルチコプターは驚くほど小さく、4枚のローターもまるで竹トンボのようでした。これが飛べるのかという一抹の不安をよそに、いったん離陸するとその体格に似合わず、意外な力強さと安定性を発揮します。タブレットで見る映像は鮮明で、揺れもほとんどなく、写真や動画の撮影も思いのまま。ひたすら感心している間に、撮影はあっけなく終了しました。すでに災害現場などで活用され、愛好家も増えているというマルチコプター、今後は発掘現場でも目にする機会が増えてくるかもしれません。
 それにしても、測量用ソフトといいマルチコプターといい、私が就職した頃には想像もつかなかった新技術の登場に、つくづく時代の流れを感じます。そういえば当時はデジタルカメラもなかったし、パソコンもまだ普及していなかったな、初めて携帯電話を使ったのは平成7年の兵庫県派遣の時だったか…などと、つい遠い目になってしまう私なのでした(歳のせいかな?)。


ただいま離陸準備中
ただいま離陸準備中
   
大空に舞い上がるマルチコプター
大空に舞い上がるマルチコプター
   

昨年度から参加してきた市川橋遺跡・山王遺跡の調査は、古代都市の内部構造が、まるでパズルのピースが埋まるように、徐々に解明されていく過程そのものでした。一方、今年は多賀城本体のほうでも、築城1,300年となる平成36年(2024年)を目指し、史跡整備のための発掘調査が同時に行われていました。多賀城とそれを支える都市、双方の調査が進展することで、宮城県、ひいては東北の古代史解明につながる成果が積み上がりつつあります。そしてそれは、復興に向かう東北にとっての推進剤となることも間違いありません。
 10年後、私が再びこの地に立ち、整備が完了した多賀城と、完成した三陸沿岸道路を眺め、かつての調査に思いを馳せる日がきっとやってくるでしょう。その時、復興と再生を遂げた東北が、私を再び暖かく迎えてくれることを確信しています。


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