第4回   朱夏の幻想−宮ノ上1号墳〈みやのうえいちごうふん〉−

 美作岡山道路の建設に伴って発掘された小矢田の宮ノ上1号墳は、5世紀の中ごろに築かれた直径10mほどの円墳です。土を2m余り盛り上げた墳丘は半ば削られ、遺体を埋葬した竪穴式石室も大きく壊されていましたが、それでも銅鏡をはじめとする副葬品がわずかに残されていました。その中に石杵〈いしぎね〉と呼ばれる石の道具も含まれていたのです。
 それは、長さ12pの棒状をした石器で、平らに整えた端を用いて朱(水銀を原料とする赤い顔料)を精製するのに使用されました。
 朱は、古代中国において遺体を保存する防腐剤として盛んに用いられました。我が国でも、弥生時代から古墳時代にかけて、朱で赤く彩られた墓や遺体が数多く見つかっています。しかし、この朱の色は粒子が細かいほど鮮やかさを増すことから、石杵を使って細かくすり潰す必要があったのです。
 今から1,600年前のある日、生気の失せた首長の顔にすり潰したばかりの赤い朱を刷く後継者。やがて棺が閉じられると、首長に捧げられた品々とともに、役目を終えた石杵が石室へと納められる。そんな葬儀の光景を想像させる、興味深い出土品です。
銅鏡石杵
銅鏡と石杵

*『広報しょうおう』2011.9月号掲載記事を一部改変して転載


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