第21回 信仰を支えた荘園-勝田荘〈かつまだのしょう〉−

 平成23年9月3日に襲来した台風12号は、世界文化遺産に登録されている和歌山県の熊野古道にも大きな爪痕を残しました。この古道は、今から900年前に平安貴族たちがたどった道筋ですが、彼らが目指した熊山三山の一つが、落差133mという我が国最大の名瀑〈めいばく〉を御神体とする那智〈なち〉大社です。
 この那智大社に所縁〈ゆかり〉ある場所が勝央町内にあります。鎌倉時代(800年前)、勝間田地区一帯に開かれた勝田荘です。その一画を占める黒土の大河内遺跡〈おおこうちいせき〉や藤ヶ瀬遺跡〈ふじがせいせき〉では、床面積が100uを越える大きな建物跡が見つかったほか、当時の高級食器であった中国製の陶磁器も数多く出土していて、荘園の経営に携わった地元の有力者の居宅であったのかもしれません。
 また区画整理が行われる以前、この一帯に見られた一町(約100m)四方の碁盤〈ごばん〉の目のような地割(勝間田条里)も、荘園開発の名残〈なご〉りと思われます。
 しかし、この荘園も室町時代(600年前)には那智大社の手を離れて都の大寺院の間を転々とした後、ついには三星城主〈みつぼしじょうしゅ〉後藤氏の支配下におかれました。
 現在町内では、那智大社との関りを示すものを目にすることはできませんが、平安貴族の信仰を支えた荘園の痕跡は、今も私たちの足下深くに眠っているのです。
大きな建物跡
大河内遺跡の大きな建物跡

*『広報しょうおう』2013.1月号掲載記事を一部改変して転載


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