第20回 堀のような道-出雲街道〈いずもかいどう〉−

 勝央町黒土と美作市上相の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。その近くに位置する上相遺跡では、この道路に沿うように走る2つの切り通しが見つかりました。
 この切り通しの底にはいずれも細かな砂利が敷かれており、出雲街道に先立って使われた道の跡と思われます。特に、上幅9m、深さ3.5mもある南側の切り通しは、断面がV字形をした山城の堀とよく似ていて、あるいはその技術を応用してつくられたのかも知れません。
 山城が築かれはじめた室町時代(600年前)、このあたりを支配していたのは播磨を本拠地とする赤松氏でした。山陰の山名氏による侵略に脅〈おびや〉かされていた赤松氏にとって、播磨に通じるこの道は、危急の際に支援を得るための重要なルートであったに違いありません。このような大掛かりな道普請〈ふしん〉が行われた背景には、そうした軍事的要請があったとも考えられます。
 また、北側の切り通しは幅が狭く、深さも浅くなっています。つくられた時期は分かりませんが、奈良時代(1,300年前)に整備された「美作道」の可能性もあります。
 近頃、工事の鎚音〈つちおと〉が聞こえるようになったこのあたりですが、かつては戦場へと急ぐ人馬の喧噪〈けんそう〉が頻〈しき〉りに響き渡っていたのかも知れません。
堀のような道
V字形に掘られた切り通し

*『広報しょうおう』2012.12月号掲載記事を一部改変して転載


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